2009年(平成21年)9月20日号

No.444

銀座一丁目新聞

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〔連載小説〕

 

VIVA 70歳!

            さいとう きたみ著

 

第七章  三人 

三人が集まる場所はいつの間にか決まっていた。まず夕刻、神楽坂の小料理屋「ひまら屋」で落ち合う。15人も客が来れば満席になるこの小さな店は、そもそもこの近辺に社屋がある新潮社や旺文社、音楽の友社などの知り合いに誘われて来たことに始まる。
主人は屋号にも見られるように多少名の知れたアルピニストであった。必要に応じて始めた野外料理からスタートし、少しずつ本格的な料理にも手を伸ばし、また、その修行もし今は美味な肴を出す店として一部の人々に深く愛されている。料理や登山の著書もあるが、基本的にはマスコミに出たがらない控えめの性格なのも好ましい。三人は30年ほど前、彼らよりやや年若の主人が現役の登山家のころから出入りしており常連客といえる。東京生まれの三人にとって東北出身のこの主人がその料理にほとんど砂糖を使わぬことや塩をしっかり使うことなどが大いに気にいっている。三人は特別食通という訳でもなく、と言って偏食の傾向もなかったが、近来ますます日本の食べ物、例えばスーパーで売られている惣菜などに大量の砂糖が使われていることが大いに不満であった。特に外国に住むことが多い夏男と春介にとっては日本に帰った時の食事にやや辟易とするものがあった。一説によると学校給食がこの流れの元凶だと言うのだが、料理屋やレストランで出すものも例外ではない。それが「ひまら屋」ではそうではない。
「まあ、英語でも旨いことをスイートと表現することがあるし、日本語でも甘いと書いて旨いと読ませることがある。」
と、春介などはもはや投げやりな表現をする。
「アメリカ人もアイスクリームは大量に食うだろう?」
と、冬彦。
「甘いものはしっかりと甘い。しかし、主食は日本が世界一甘い。」
「メキシコの人たちも甘味飲料水は大量に飲むし食後のデザートなども猛烈に甘い物が多い。しかし、主食に近いものはこれほど甘くはない」
と、夏男。
「甘い物ばかり食うから人間が甘くなる。これはこの国の未来を暗示している。」
三人の顔には冗談とばかりは言えない表情がよぎる。
この店で適当に飲み小腹を満たすと次は新宿の飲み屋「もとめづか(求塚)」というこれまた小さな店に移る。この店も30年以上通っており亭主が冬彦の後輩で大学演劇を共にやっていたことが縁になっている。店名になっている「求塚」は謡曲のひとつであるが、マダムがアマチュアとはいえ、謡曲には年季を積んでいてこの店の名づけ親だという。新宿といっても大久保寄りの場所で何となく薄暗い今にも崩れ落ちそうなビルの中にあるためフリの客はほとんど寄り付かず常連にとっては居心地の良い店であった。
店の壁には一枚の色紙が貼ってある。古典に詳しかった有名評論家の書だという。
「されば人、一日一夜を経るにだに八億四千の想いあり。」と。
どういう意図の文章なのか良くは判らぬが、店名になっている「求塚」の一節だという。
「世界中を飛び歩いていて、いろいろ社会の裏面も見たり聞いたりしたろうから、どうだこの辺で何かやたら面白い国際小説でも書いたらどうだ。」
と、冬彦。
「そうだ、そうだ。おまえだったら世紀の大恋愛小説だって書けるだろう。」
と、夏男。
「ダメだね。全くダメだね。」
「なぜ?」
「サマセット・モーム、グレアム・グリーン、ジョン・ル・カレ、イアン・フレミング、彼らの共通点は何だか知っているか?」
「イギリスの作家・・・・。」
と、夏男、
「そしてスリラー作家・・・・。」
と、冬彦。
「正解は全員、正式なスパイだったんだ。スパイという表現がやや軽いとすれば全員、英国政府の調査員だった。国際人なんてものは一朝一夕になれるものではない。俺なんてせいぜい国際航空のパイロット、いや、それ以下の体験者でしかない。」
「フレデリック・フォーサイスもスパイではないが海外特派員として修羅場をくぐっているしなあ。」
「俺が愛読している競馬スリラーの帝王、ディック・フランシスだって一流の騎手だった。」それも女王さまの騎手でグランド・ナショナルの勝者だった。」
「ところで今日の召集の最大目的は何なのだ?」
と、冬彦。
「また小役人の癖が出たな。目的のない会合こそが我々70代に与えられた特権だと言ったろうに。」
「しかし何か俺たちに言いたいことがあるって言ったじゃないか。」
「うん、それはある。一言で言えば三人でひとつのイベントを作り上げようという提案だ。」
「イベント? どんなイベントかね?」
「The Organization of Important New Age International.」
「なんじゃいそれは?」
「頭文字を並べてみろよ。O・I・N・A・I で老いないだ。」
「老人ホームでもつくるのか?」
「いや、80歳以上の人々が行う大イベントだ。オリンピック、万博、見本市、演劇、音楽、趣味、手工芸、料理、などなど全部を含むお祭りだ。」
春介の説明によると今から10年後を目標に、東京で第一回目の「老いない大会」を開くのだと言う。例えば青山の国際競技場、野球場、ラグビー場、広場、ホールなどを全て借りきって、考えうる限りのジャンルのイベントを同時開催するという。但し、参加資格者は80歳以上であることと、その人の付き添い、または介添えの人に限るのだという。国籍は問わないので外国人参加者も大いに歓迎する。オリンピックや国際競技大会などの種目の中から老人にでも可能なものを選ぶ。絵画や書、盆栽から手工芸品まであらゆるジャンルの作品展も行う。料理自慢は屋台形式の店を開く。コーラスやオーケストラ、尺八だろうが三味線だろうが音を出したい人はそれぞれグループ化して集まる。お見合いコーナーもあれば健康相談室もある。とにかく、一週間か10日にわたって80歳以上の人々が出来うることの全てを網羅して共に過ごすのだという。一人一万円くらいの参加費をとれば30万人で30億円集まる。これで運営管理費はまかなえる。加えて老人にかかわる企業のスポンサーをあおぐ。薬品メーカーをはじめ車椅子、歩行器などのメーカー、老人食品から老眼鏡屋まで何もかもスポンサーに仕立て上げる。そうしてこの第一回が成功したら次回はニューヨーク、その次はロンドンと世界各都市にこの輪を広げて行く。春介は次々とアイディアを並べ立てる。冬彦と夏男は唖然とし、聞きいる。
「今から5年の時間を与えるから、二人は二人の役割のリサーチに今日からでも入ってもらいたい。冬彦は役人だった訳だから、この大イベントに関するあらゆる法律、条令、規約関係を調べる。青山なら青山の会場についても徹底的に調べる。夏男は世界のどこかでこれに類似したイベントが部分的にでも存在するか否か、そしてあったとすれば、その長短、支障となることなど全てを研究する。そして5年後に三人がまた再会し次の5年間で具体的なプロデュースに入る。そうすれば10年後に俺たち三人とも見事このイベントに参加資格がある。
「おまえは、これからの5年間何をするんだ?」
「俺はせっせと10年後80歳を越えるであろう美女たちを口説き、このイベントの実現に向かって協力を要請する。ま、それは冗談として俺はこのイベント全体の緻密な企画書を作成する。どうだ?。」
この春介のアイディアが突飛なものなのか、幻想に近いものなのか、それはもうどっちでも良いように冬彦も夏彦も思えてきた。70歳という年齢に大きな未来はないものと思い始めていた自分自身に、5年先、10年先の目標ができたということに理屈ぬきの喜びがあった。そして、口にこそ出さぬが三人の共通した想いは自分たちの生きて来た世代、社会、などというものへの最後の挑戦なのだった。あの軍国主義時代に、幻想的社会主義時代、そして物質文明の大波、加えて無教養であった自分たち自身、もしもできればこれが本当に最後の、最後の仕事になるかもしれない。もしかしたら無教養な我々でも何かが出来るということを少しでも証明してみたい。そういう切望なのだ。
「プロの俺が断言するが、このイベントは間違いなく成功する。」
春介は胸を張る。三人は5年後の再会を約して乾杯するのだった。
「Viva! 70歳!!」
 

                   (完)