2009年(平成21年)9月1日号

No.442

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
連載小説
いこいの広場
ファッションプラザ
山と私
銀座展望台(BLOG)
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

〔連載小説〕

 

VIVA 70歳!

            さいとう きたみ著

 

第六章 (つづき) 

春介:その6

 

春介の仕事はイベント プロデュースが増えてきた。モーター ショウやエレクトロニクス ショウなどなど企画がらみのイベントで腕を振るったので、他の一般イベントの依頼も受けるようになった。例えば、ミス ユニバースのような国際イベントも春介ぬきには考えられぬようになった。日本においては多目的ホールという、言ってみれば何でもやれるが何にもむかないという不思議な建物が流行り、国立だけでなく各地方自治体も競って新設したため、これらの杮落としイベントだけでも結構多忙であった。ある時、ある宗教団体が都内に巨大なホールを建て、そこの教祖がファンだと言う国民的大歌手のM. H.のショウを依頼してきた。春介はこの歌手が自分と同年、同月、同日の生まれだということは知っていたが今まで間接的にも仕事を一緒にしたことはなかった。謝金が破格に多かったので安請け合いをしたが多少不安でもあった。この時はプロデューサーだけではなく演出も兼ねていた。案の定、本人は一切リハーサルに出て来ない。最終的な衣装をつけた舞台稽古にさえ現れない。一卵性双生児などと言われている母親が始終代役を演ずる。春介はもうどうにでもなれ、とばかりクレームもつけなかった。舞台上の大道具を全て小ぶりに製作するように逆に注文を受けた。M.H.が大きく見えるための配慮である。本番直前が彼女との初対面であった。ドキドキもので迎えた本番では春介の指示どうり見事にミスなく演じきった。リハーサルにも出て来ない傲慢さにお冠りであった春介も開いた口がふさがらなかった。こうして大スターの神話が作られて行くのだろう。この歌手についてはもうひとつ奇妙な体験があった。シアトルから成田に帰ってくることがあり、めずらしくシアトル空港で倒れたことがある。原因不明の失神であった。急遽、空港の病院に入れられ応急手当を受け、何とか次の便で帰国できた。後に知ったことだが、この春介が入院した同時刻にM.H.は亡くなっている。確認してみると確かに診断書に記された時刻と彼女の死亡時刻は一致していた。同年、同月、同日に誕生したのだから似たような運命を辿る。そういう迷信がこういう偶然からうまれるのだろうと思ったものだ。
60歳を過ぎる頃から春介は仕事の転換をはかった。まず、一緒に働いて来たスタッフたちを少しずつ独立させて行く。春介の個人的才能を過大評価するクライアントも中には居たが、説得を続け、65歳になるころにはほとんど身軽になっていた。とは言え海外を飛び歩く春介にとって留守番役はどうしても必要で、結婚のため退職した元の秘書役の中から優秀な女性を選び、彼女が自宅で実務が可能なように電話やパソコンを備え管理してもらう。オフィスも閉じたので月々の収入は激減したが、逆に出費はほとんど無くなった。いわば一人身になって多少の不便さもあるが、いかにも気が楽であった。なぜ、今まで所帯を大きくすることばかり考えて来たのか、反省大なるものがある。一匹狼を自認しながらスタッフを増やして行ったという矛盾は春介の心の中に大きいことは良いことだ、という俗念があったからかも知れない。年商を増やすということに多少の快感をおぼえていたのかも知れない。確かに公的な融資制度などは年商に準じて条件が良くなる面もあり、中小企業が大企業になることを目標にするのもやむを得ないことなのかも知れない。日本には実業と虚業という区別が相変わらず残っており、春介の仕事などは虚業の典型と思われており民間の銀行など全く相手にもしてくれない。一人身になって最も楽になったのは資金繰りである。過去40年間最も苦労したのがアイディアや創造性でもなく経営者ごっことも言える資金繰りであった。また、スタッフが増えてくると当然のことながらスタッフ間の人間関係が複雑になりトラブルが生ずる。そのトラブルへの対処にも多くの時間が失われた。何のことはない、大組織に入らず自由を求め独立業を選んだのに、小なりとはいえ経営者ごっこに終始していたのだ。
当然のことながらお金が動くたびに常に税金が影を落とす。企業にとって同じ出費でもそれが経費で落ちるか否かが重要なこととなる。春介の仕事に対する報酬は常にそれが問題となった。単なる報酬と広告宣伝費、販促費、時には総務費、福利厚生費などとは大いに異なる。スポンサーやクライアント側がその点に苦慮する。長い体験から経費で落としやすい企画をこちらから先に提示するようになった。海外の企画などもその例にもれず、例えば純粋な報酬の支払いについては極めて渋い企業も、航空運賃やホテル代などいわゆる間接経費についてはまことに鷹揚な場合がある。航空会社や旅行代理店などは旅費についてはいわば現物支給なので、より容易になることもある。春介は海外での仕事を依頼されると報酬については大幅に減額し、その代わりに航空費やホテル代についてはファーストクラス級の扱いを要求するようにした。これは予想外に効果的で春介に仕事を頼むと結局は安上がりだという評判さえ生まれた。
日本籍の世界一周船は3,4社が手がけている。長い船旅の中での日毎のイベントは船客にとっても重要なものである。イベントの質の良し悪しは次の客たちへの口コミとしてないがしろには出来ない。しかし、各国には各国の事情があり、優れた芸能人や芸術家の確保はそう容易なものではない。港から港へゆっくりとしたペースで航行するのだからどうしても出演者たちの拘束時間が長くなる。自ずからギャラの交渉も単純には行かない。国によってはあシンジケートの許認可とか芸能界特有の裏社会とかめんどうな交渉相手も出てくる。今ではこの種の仕事のエキスパートのように春介は思われ始めている。春介もまたこの仕事を大いに楽しもうとしている。キャサリンのように彼を心待ちしている女性もいる。
船に乗るようになって、あらためて日本人というものをじっくりと観察でき、それは貴重な体験でもあった。まず、これだけ多くの日本人を同時に外国でえ見るという体験は初めてである。船客の99%が日本人である。一日24時間、世界のどこに居ても日本語だけで通用する。外国人が圧倒的なクルーだがっそれなりにカタコトの日本語を話すからである。動く老人ホームなどと揶揄する面もあるが確かに特異なグループと言える。船客の平均年齢は70歳を越えている。戦後の経済戦争を勝ち抜いて来た企業戦士とその妻たちであろう。老齢になってからこれだけの大金を支払える経済力と長時間のゆとりがあるのは企業戦士としても成功者なのであろう。第一健康なのだと思う。春介が特に感銘を受けたのは夜毎開かれるダンス教室である。少々おめかしをした老人たちが懸命に踊る。どの船でもこのダンス教室は最も人気の高いものである。小規模とはいえ生バンドをバックにミラーボールがきらめく薄くらいホールでライトを受け、抱き合って踊るペアーたちは恍惚状態に近い。踊りながら彼らの脳裏をよぎっているものは何なのであろうか。貧しかった若き日の思い出か、超多忙であった絶頂期の日々なのか、今、リタイアーをしてこの豪華船で、しかも外国の洋上で踊り続けることが出来るとは何と幸せなことか。特にご婦人方は人生における幸福の絶頂にあるのかも知れない。女が真の幸せを覚えるのはドレスアップしてスポットライトを浴びることに尽きると言った人がいたが、まさに今彼女たちはそのさ中に居るのだ。なぜか春介にはこみ上げて来るものさえある。一人、一人のご婦人たちにおめでとう、と声をかけたい。
 

(つづく)