2009年(平成21年)1月10日号

No.419

銀座一丁目新聞

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〔連載小説〕

 

VIVA 70歳!

            さいとう きたみ著

 

第一章 (つづき) 

春介:その1

 

春介は船上で70才を迎えた。舷側を叩く波の音が心地よい。窓外に広がるカリブ海は見事なコバルト・ブルーである。70才第一日目を、傍らに寝ているキャサリンの目を覚めさぬようにそっと起き上がる。この日本船籍の世界一周船は乗客、船員をふくめて千人を越す大型客船である。年に一度、数週間だけこれに乗り込むことがここ数年続いている彼の
仕事のひとつであった。ノルウェー人のアシスタント・パーサーであるキャサリンが彼の寝室を訪れることがいつか習慣になってきている。彼女の寝みだれた白っぽい金髪を眺めながら、ああついに俺も70才かとあらためて思う。そういえば高校時代の級友、冬彦が当時、教えてくれたW・B・イエイツの詩の一部を何故か思い出す。老いていく自分を嘆いて詩人はうたう。老人であるのに未だに私は、“foolish passionate man”なのだと。良いじゃないか、馬鹿ばかしくも情熱的な老人、正に俺だ。春介は上半身裸の我が身をバスルームの鏡に映し、筋肉を盛り上げてみる。シャワーを浴び、シェービングをし、上質なアフターシェービングとオードトワレを肌にすり込む。今日は新しい世代に突入したのだからお祝いに少々派手目にしようと、赤いTシャツにピンクのYシャツ、白いズボンにピンクのソックスと純白のローファーを合わせる。これに赤い広島カープの野球帽と薄いピンクのサングラスで今日のファッションは完成である。フーリッシュ・パッショネイト・マンを正に地でいっているなと笑いがでかかる。そっとドアを開け甲板に出る。船に乗るようになって案外だったのは朝日や夕日があまり紅く感じないないことだった。空気が澄んでいるからなのだろうか。70才になったことが何故か嬉しい。開放感のようなものかもしれない。親離れ子離れは60台の後半からだから今さらこれらが理由とは思えない。ああ、もう立身出世はもとより仕事師としてもほどほどでよいのだ。少なくとも他人の評価を気にすることもないし、家族や友人たちに誇る必要もない。健康管理についても同じことだ。遠い将来を見すえて体をきたえることもないし第一、この年で筋肉が増大することもあるまい。不味いものを体のためだと無理に食らうこともいらなければ薬を山のように飲んでみる必要も特にはないだろう。自然に流れるままに生き、他人の眼も耳も気にすることもなく、義務や責任も一生の中で一番軽くなったのではないか。ピンクのソックスに眼をやり思う。70才の老人が何を着ようが何を穿こうが誰も何とも思いやしない。流行を追いかけ高価な衣類を買うことも、少しでも好みが良いと思われたくて、ネクタイ一つ選ぶのに時間をかけることも無用だ。70才、万歳!だ。思えばこの70年間、他の人々
に比べれば充分、身勝手に気のむくままに生きてきた方だが、それでも子供の頃は常に親や先生や他の大人たちから少しでも良い子に少しでも賢く、少しでも役に立つ子になることを求められてきた。大人になれば今度は妻や子に少しでも立派な亭主や父親になることを求められつづけ、目をかけてくれた先輩たちも、したってくれた後輩たちも春介を少しでも良い仕事をする男として期待していたように思う。そして愛人や恋人やその中間のような沢山の女友達たち、みんな何かを春介に求めていた。全部終り、これにてご破算。春介は思わずデッキの散歩道を走りはじめた。部屋に戻るとキャサリンが浴室に居た。シャワーを終えたとこなのだろう。欧米の女性によくあるように彼女も浴室のドアを開けたままで明るく声をかけてくる。大ぶりの乳房が垂れ下がり、腹には何本かのしわがある。両足に青い静脈が浮き出ている。一般的にいえば間違いなく五十代女性の裸体で美しいものとは評価されないのだろう。が春介は好ましいものとして受けいれている。十代は十代、二十代は二十代、その時々の女性の裸体をいつも美しいものと思ってきていたが70才になった今、五十代の女性の裸も又、美しいと感じられる。そういう自分が特殊だとは思わない。六十代、七十代の女性の裸を目にしたこともあるが決して醜いとは感じなかった。第一、妻の桜子は既に80才を超えている。雑誌やカレンダーなど、いわゆるピンアップ写真の均衡のとれすぎた裸体はむしろセクシーには感じない。女性アナウンサーのナレーションが正しいのかもしれないが色っぽくないのと同じだ。ノルウェー人であるキャサリンの本名は別で一度聞いたことがあるがすぐ忘れてしまって今は日常の呼称のキャサリンで少しも違和感はない。大学生になる娘が二人いて、同国人の亭主は留守勝ちのキャサリンに不満をもったのだろうか若い女と出ていってしまったという。春介はこの世界一周船に乗るたびにキャサリンと愛しあうことを心から幸せだと思っている。肉体での愛し方は年相応に減少してはいたが二人で抱き合っている時、しみじみとした安らぎを覚える。

(つづく)