2009年(平成21年)1月10日号

No.419

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安全地帯(237)

信濃 太郎

正月の夢で「戦友」を歌う

 1月2日に初夢を見た。みんなに「歌を歌え」とせがまれた。仕方のなく思いつくままに出てきたのが「戦友」(作詞・真下飛泉、作曲・三善和気)であった。まわりの者の顔はよく分からない。だが、毎日新聞大阪社会部の連中のようだ。いつもは「歌舞音曲は父の遺言で禁じられている」といって逃げるのだが、立川熊之助社会部長が「挨拶代わりにやれ」というので立ち上がった。昭和38年8月東京社会部から大阪社会部のデスクに来たばかりであった。

 「ここはお国の何百里
  離れて遠き満州の
  赤い夕日に照らされて
  戦友は野末の石の下」

 ここで涙が出て後が続かない。声が出ない…そこで目が覚めた。
 大阪にいたのは45年も前のことだ。なぜ今ごろ夢に出てくるのか分からない。夢は「自作自演のお芝居である。何らかのメッセージが含まれている」と教えられた。とすれば、今年は俳句を含めた歌の勉強をもっと真面目にせよということか、それとも友達を大切にしろということであろうか.
 元旦初詣に出かけた府中の大国魂神社で引いた「くじ」は22番の「大吉」であった。「おこたらず 学びおほせて いにしへの 人にはじざる 人とならなむ」の歌と共に「礼記」の言葉があった。「師厳にして、然してのち道尊し、道尊くして然してのち民学を敬することを知る」。「礼記」とともに五経の一つ数えられている「詩経」をまたひも解いてみるとするか。手元に白川静著「詩経」(中公文庫2002年11月15日発行)がある。その本には「詩は志の之(ゆ)くところ」といい『古今集』の序にはそれを受けて『生きとし生けるもの、いずれか歌をよまざりける』という」とある。万葉との比較もあり興味深く読んだことがある。
 5日朝、靖国神社に昇殿参拝した。祭られている12名の同期生や先輩の遺霊に手を合わせた。年とともに同期生があの世へ行く。心理学者ユングは「故人は自己完結の旅に出掛けているのだ」といったが、いずれこちらも旅に出るのだからまた会えるであろう。また集まりも悪くなった。仕方あるまい。元日嬉しいことがあった。雑誌「偕行」に丑年生まれというので「生涯ジャーナストでありたい」という決意表明の年頭所感を書いた。その原稿を読んだ同期生、安藤重善君(所沢市在住)の夫人照子さんからメールで、同じく北九州市に住む鬼武昭一君から電話でそれぞれ「大いに励まされた」と伝えてきた。
 「詩経」によれば昔の人は為政者の敗徳を詳しく歌に詠んだ。だから為政者がその混乱の責任を「予にあらず」と逃げても歌がその事実を明示したという。21世紀はまたこのような為政者の敗徳を語る歌が強いメッセージを出して復権するかもしれない。