2009年(平成21年)9月1日号

No.442

銀座一丁目新聞

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山と私

(57)
国分 リン

――天井の楽園「平ガ岳」――

 清四郎小屋の食堂に架けられていた長野の住人・高橋小荀詠の詩が「平ガ岳」を登った後も感動し、ここに記す。

  山が待っている 命あって今年もまた あの平ガ岳へ私もゆく
   自然の景色の麗しい 枝折峠・銀山湖・鷹の巣清四郎小屋・二本松
    痩せ尾根つたいの台倉山・池の岳・姫が原・玉子石、そして頂上平ガ岳
     世にも珍しい円い山頂 天国に近くなった 極楽のような草原

 春にスポニチ登山学校仲間の田島氏達と里山登山を楽しんだ時に、深田100名山の平ガ岳が最短コースで登れるようになったと教えられ、この夏登りたいと考えた。スポニチ仲間たちに声をかけ、スポニチ講師の片平氏にガイドをお願いした。ネットで調べた結果、新潟県と群馬県との境界上にあり、越後三山只見国定公園の1峰で、利根川源流域の最高峰である。登山道の開設は1965年と新しく池塘をもつ高層湿原だが、一般登山者には幻の存在だったことを知った。登山口までのアクセスが遠く最低2泊と考えた。エーデルワイスクラブの8月の山行計画は1泊、よく調べたら皇太子が1986年中ノ岐から登られた道が、林道に送迎があれば可能と分かった。普段は林道入り口に鍵がかかり一般車は通行止めながら、地元の民宿なら車で林道終点まで入れる。片平講師と相談して鷹ノ巣コースで登ることにした。
8月12日 東京駅11時12分発上越新幹線で浦佐へ、そこから急行バスでシルバーライン(奥只見ダム建設道路・殆どがトンネル)で奥只見湖へ向かい、尾瀬口まで遊覧船に乗り、沼山峠行きの会津バスに乗り、鷹ノ巣停留所前の清四郎小屋へ着いたのは16時を過ぎていた。清四郎小屋は40年来夫婦で6月から11月の道路封鎖までの間滞在し、釣り人や登山の世話のために、開いている。暖かい雰囲気で私たちを迎えてくれた。折からお盆休暇で帰省中の息子さん家族で賑やかだ。手造りの露天風呂は大きくてとても気持ちが良かった。夕涼みがてら明日の登山口まで散歩にでた。東北の山特有のアブがつきまとい、振り払いながら登山口に着くと、4台の車が停まっていた。山からご夫婦が下山してきた。18時である。やはり大変な山なのだ。
8月13日 晴れ 4時40分出発。登山口(850m)から平ガ岳(2141m)の標高差1300mを登る。沢を渡渉しいきなりの急登、最初の2ピッチがきついよと言われていたが、ひたすら登り、鎖場も3ヶ所過ぎ、二本松で朝食をとり、馬の背のような両側が切れ落ちた道を登る前坂はきつかった。2時間登ってもまだまだ、暑くて50分毎に休んでくださいとお願いしながら、大丈夫かと心配になった。片平先生のザックは私が持てないほど重い。それなのに私のカメラと食料を持ち、軽々と担ぎ、元気付ける様に歌っている。まるで鉄人のようだ。下台倉山(1604m)から台倉山、「ここで半分だよ」時計を見ると8時40分、ここからは木道が1時間ほど続き、平ガ岳の田んぼ道が改良され、歩きやすい。地図の水場・白沢水は枯れていた。ここから池ノ岳への最後の登りは急で道も荒れ、笹薮を刈って新しいので滑る。フーフー言いながら登ると、まだ先があり、ここまできたら登らなくてはと気力を奮い立たせた。11時20分にやっと着いた。池の岳・姫池は平ガ岳のお嫁様のように静かに広がり、横たわっていた。少し休んで平ガ岳を目指し、気持ちの良い湿原の木道を歩き、平ガ岳へ12時到着。本当に円く平らな頂上に、風にゆれるキンコウカやリンドウの花が咲き、池塘が広がっていた。あいにく燧ケ岳や至仏山・会津駒は雲に隠れ姿が見えない。この夏の盛りの頂上は人っ子1人いない静寂さ、この素晴らしい景色を独占している。大声で叫びたい衝動に駆られた。あっ、でもこの静けさを大切にしよう。片平先生は木道に仰向けに大の字になった。気持ち良さそうだ。ここで昼寝ができたら最高と思うが、下山を考えると不安になった。名残を惜しんで玉子石に向かう。持参した水2gが空になったので水場へ寄り道した。水場は草原とは違うお花畑で、澄んだ美味しく冷たい水で喉をうるおし、元気を取り戻した。山の頂とは思えない草原が続く木道の上を快適に30分玉子石に到着。自然の不思議を感じる大きな石の台座に直径2m以上の卵型の石が現れた。風化しているので登ってはいけないと立て札があった。ここからの眺めは眼下に池塘が数多く点在し、他の山では見られない景色である。玉子石まで足を伸ばし、天井の楽園を散歩気分で楽しく歩けたことは、ほんとうによかった。
姫池に戻り13時30分下山開始。登りで苦しんだ急登、ぐんぐんと下る。樹林帯の木道を夢中で歩き、台倉山まで降りるとすっかり周囲の景色は霧の中、暗くならないうちにと必死で歩く。片平先生はさすが早くリズミカルにとんとんと歩き、いつも途中で後ろを見、危険な所は注意を促す。安心して後姿を追いながらひたすら降りる。登りの時にここを下山する不安があった鎖場もアドバイスを受けながら3箇所あっという間に降りた。やっと二本松へ降りたときにぽつぽつと雨が落ちてきた。雨具をつけ、薄暮の中を夢中で歩いた。林道へ19時到着。周囲は暗くなったがもう安心。よく歩いたと我ながら感心し、片平先生に感謝した。「1時間早く出発すれば良かったね。よくがんばりました。」私が途中バテテしまい、あきらめそうになったのを見通していた。清四郎小屋へ戻る外灯もない道を歩きながら、まだ山へ行くなら鍛錬をしなければと心に誓った。
清四郎小屋の灯りがぽっと見え、今回の「平ガ岳」は無事に終えた。
「 鷹ノ巣や 野ぐみの花の 愛しくて 」新田次郎 
(清四郎小屋へ贈られた色紙より)