〔連載小説〕
VIVA 70歳!
さいとう
きたみ著
第二章 (つづき)
夏男:その2
バブル経済崩壊以前の日本は異常だった。日本中の人々が錯覚していたとしか思えない。日本は世界で一番豊かで一番安全で一番教育レベルが高くて一番清潔なのだ、と。よりエスカレートすると日本の食べ物が世界一で、四季の移り変わりを含めて世界で一番美しい国だ、と。日本を抜け出したいと真剣に考え始めたのはその時期だった。幼な心に感じていた軍国主義一辺倒の神国日本迷信とどこが違っていたのだろうか。その頃、インタビューした経団連のボスの一人が、もうアメリカから買うものは何もない、強いていえばメジャーリーグぐらいかね、などと放言するのに接して絶望に近いものを覚えた。また、日本はもの作りの国だ、安くて良いものを作れるのは日本だけだ、テレビひとつ、自動車一つとっても、もうアメリカは日本に追いつけない、そうも言った。この100年間、日本がオリジナルとして作ったものに何があるというのか。この間にアメリカ人は自動車を産み、飛行機を作り、電話を普及させ、ラジオを発明した。今、身の回りにある文明の利器のほとんどの作り手はアメリカ人だと言っても過言ではない。デパートの店員がお釣り一つ満足に数え切れない、タクシーの運転手が母国語である英語をろくに喋ることができない、いくらでもアメリカとアメリカ人を貶めることは可能だった。流行っている新興の商店がやや翳りの出た老舗を嘲笑しているような下品さがその表情にはあった。夏男は日本を誇り、日本人であることに得意になっている人々に接し、再び、戦争中、戦後の日本人と同じものを見た気分になるのだった。これはごく最近のことだが日本の大学生たち15人ほどがメキシコにやって来た。ラテンアメリカ研究会とかいうグループで教授と助教授が同行していた。良い青年たちで礼儀も正しかった。縁があり、一日だけであったが彼らのメキシコ見物の案内をした。博物館や美術館に行っても熱心にメモをとるし、何かを頭から決め付けている愚かさも少ないように感じた。やや気になったことといえば外国に来てまでも一様に分厚い日本のマンガ本を抱えていることだったが、これも日本では当然のことなのだろうとなるべく気にしないようにしていた。しかし、驚いたのは彼らが明日は日本に帰るという打ち上げの夜であった。招かれて日本料理屋に出向いたのだが、そこでこの旅の意義と今後のことごとについてのディスカッションが行われていた。幹事のような女子学生が最初に発言した。
「私が一番驚いたのは町に乞食がいることでした。ストリートチルドレンも多く目にしました。交差点ごとに汚い子供たちが停車中の車のフロントグラスを洗うためにまるで虫のようにたかってきます。私は今後この貧しい国がどのようになっていくかを研究してゆきたいと思います。」
次に他のメンバーからやや一目置かれているように見えた優等生らしい男の子。
「僕がショックを受けたのはスーパーマーケットとかショッピングモールの大きさと豪華さです。この貧しい国に何故世界の一流ブランドが競い合うように出店しているのか。大量にあふれる日用品の多くが輸入品で、そこに集う多くの市民がまことに明るくほがらかであったことです。僕はこの国のアンバランスさが何故生まれて来たのか今後の研究課題にしたいと思います。」
夏男は言葉がなかった。わずかの時間ではあったが、この青年たちと過ごした期間、最も印象的だったのは政治をはじめ日本社会の構造に対する無関心さであった。無知以前に一切自分とは関係がないという態度だった。ちょうど、小泉内閣が郵政民営化を軸に解散をし選挙で圧勝した時期だったので、それに関連した質問をいくつかしてみたのだが、異口同音に関係ありません、選挙には行きませんでしたという反応だった。自分の国に関心がない若者が他国の問題点、それもいわばその国の恥部にも類することごとに着眼するという神経は不可解としかいえない。彼らの学費はすべて親がかり、親の家に住み、親に食べさせてもらっていることは明白である。たまにやってみるアルバイトも自分が遊ぶための小遣いだろう。第一このメキシコにやって来た経費だって全額親の負担だという。もし外国の大学生が短期間の日本旅行にやって来て僕の日本研究のテーマはこの国の首都で多く見かけたホームレスの存在にしますとか、幼児虐待をテーマにしまうなどといったら、この日本の学生たちはどんな気分になることなのか。今の若い者はどうしようもないという平凡な感想以上にこの善良な日本の大学生たちのあっけらかんとした表情をもう一度見直すのだった。そして自らのことをあらためて思う。今、このメキシコという外国に住み、メキシコをいくらか理解している気分になっている自分もまた、これら大学生たちとどこが違うのか。彼らが年齢をとっただけのことなのかもしれない。反省すること大であった。
(つづく)
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