安全地帯(131)
−信濃 太郎−
いり豆と小娘はそばにあると手がでる
この諺は江戸時代である。今ならいり豆は社会部の仲間だった友人がやっている「カッパエビセン」であろうか。可愛い娘さんは魅力的である。若者がつい手を出すのはやむをえないところがある。昔なならそれ済んだ。今はそうはいかないらしい。息苦しい世の中になった。
毎日新聞西部本社管内で支局の記者が15歳の少女を相手にしたというので逮捕されて懲戒解雇された。その上、上司3人が譴責処分された(2005年12月28日毎日新聞)。私はここの代表を勤めた事がある。私なら配置転換の処分ですませる。上司3人は不問にする。この記者は重大犯罪を起こしたわけではない。江戸の諺そのままである。放火の容疑で捕まったNHKの記者のケースとは違う。もともとNHK記者には記者として不向きな性格であり、何か不愉快な事があると悪事に逃避するひ弱なところがみられる。他の職業についても何らかの犯罪を犯す可能性があるように見受けられた。今回の懲戒解雇は武士の情けを知らない処分である。すでに本人は「児童買春禁止法違反」で捕まり、公表されたことにより世間的な制裁も受けており、罰金も50万円を支払っている。罪を十分償っている。新聞記者は世の中のお手本のような人物でなくてもいい。裁判官、学校の教師ではない。この記者にとって「腹の坐った」上司に恵まれなかったのは不幸であった。すこし規格はずれの人間の方がいい記者になる。戦前の記者の先輩は「大いに遊べ」と進めたものである。名文記者になりたければ「貯金するな。ともかく遊べ」であった。駆け引きの一番難しいのが女性を相手とする時である。これを巧みにこなせれば世の中にでても一流の人物になれる。この記者の失敗は「ニュースソースの秘匿」に細心の注意を払わなかった事である。さらには32歳の記者には無理な注文かもしれないが、世阿弥著「風姿花伝」にいう「秘する花を知る事。秘すれば花なり。秘せずば花なるべからず、となり。この分け目を知る事。肝要の花なり。・・・」これは全ての道に通じるものと思うのだが・・・ |