2006年(平成18年)1月1日号

No.310

銀座一丁目新聞

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北海道物語
(27)

「大型店と都市計画法(旭川の場合)」

−宮崎 徹−

  私が旭川に住み始めた昭和28年、旭川では駅前の平和通り商店街に面する丸井今井百貨店だけが、旭川で唯一の百貨店法のデパートであり、店舗としてエレベーターがあるのはここだけだった。未だ統制経済時代から間もない当時の旭川の平和通りの復活は、札幌に本店を持つ丸井デパート旭川支店の売り上げがバロメーターになった。戦前の軍隊がなくなった代わりに、農地解放によって多数の自作農家が生まれ、食糧不足で供出米の割り当てが行われて、現金収入が増えた近隣農村からも新しい百貨店の客が出来、エレベーターに乗って大食堂で家族が揃って食べるのが、市民の晴れの日の喜びだった。なお札幌ではデパートは丸井の本店と三越だけである。私が東京を出る時、北海道に住んだら道庁と北海道拓殖銀行と丸井に睨まれないようにしろと忠告される位で、名古屋の松坂屋の伊藤家と同じように、地元民が丸井さんと敬称を付けるのは此の二家だ けだと北海道人の自慢だった。
 昭和39年、東京オリンピックの年、日本の最大の小売業は三越だった。ただ同じ頃始まった高度成長の時期は、「セルフサービスの店」から始まり「スーパーマーケット」の誕生した時期でもある。又注意すべきことは、この時期に重なって昭和42年に「新都市計画法」が成立して、市民生活の在り方を決める都市内の線引きが行われた。通産省の管轄の百貨店法、大規模小売店立地法(大店法)と、建設省が定める都市計画法とは、一見別の性格に見えるが、高度成長期のモータリゼーションの発達によって 密接な関係となってしまった。寂れている中心市街地を復活させようと、まちづくり三法の見直しが持ち出され、これから皆さんにも大きなニュースとして注目されるようになるだろう。
 さて、中心商店街の不振は、全国の地方共通の問題なのだが、旭川という都市を例として述べたい。
 旭川は農村に囲まれた都市であり、戦前の地主は本州より大規模の農地を所有していた。敗戦後、マッカーサー司令部の命令的要請により施行された農地解放は、戦後の民主化に貢献したが、旧地主をはじめとする一般人にも、農地と同じように宅地でも、所有よりは使用が得だという気分でマイホームをためらう流れがあり、土地より家屋の方が値が高いという時期があった。池田内閣の高度成長策が進むと、その不安は消えて東京から地方に土地ブームが拡がって行ったが、今度は土地を手当たり放題に乱開発されては困るのである。都市化すべき部分を線を引いて囲い込み、インフラに就いては行政が責任を持つ市街化区域と、その区域の外は現状にとどめて建築を許さない市街化調整区域という風に分けた都市計画法がつい最近迄続いて来た。道北の林業・漁業等が衰退すると旭川に移住者が増えるので、五年毎ぐらい で市の市街化区域が拡大されてゆくのである。
 市街化区域の中は八種の用途地域に分かれ、商業地域は高層化が可能であり、住居地域は空地スペースを要求される。その中間地域もあり、用途指定によって利用価値には差があり、地価にも差ができる。旭川でも駅前に近い商業地の価格は、他の都市よりもその価格差が突出して高かった。此の高い地価の上に大型店を建てるよりも、街の周辺の十分の一以下の値の土地に、中型店で駐車場無料の店を建てる方が消費者に取っても、業者にも遙かに有利だということが、車社会の普及によって判って来た。デパートがスーパーマーケットに押される理由の一つである。デパートは余程付加価値の高い商品を売って行かなければ成り立たないが、不況が続くとその売り上げも落ちるのである。
 旭川の平和通り買物公園が出来た当時には、旭川では札幌との列車の時間が短縮されて、いわゆるストロー効果で客を奪われてはという危機感が強かった。それで市長自らが、西武デパート誘致に乗り出し、丸井デパートと並んで大型店を作った。而し実際は車社会の進行で、郊外大型店群との競争に敗れたのである。これは旭川だけが、先見性に乏しかったわけではない。全国の地方都市の多くもそうだった。鉄道が出来て駅が生まれ、周辺の土地をものにした人達が有利だったのは、西部劇の駅馬車時代も同じだった。 交通革命があり長い不況が続いて明治以来の老舗の丸井デパートも破綻して伊勢丹の傘下に入り、西武デパートも堤一族の手から離れた。
 今度は、都市計画法を見直して、大型店の郊外進出に歯止めをかけ、出店を不可能にしようとするようだが、新規は拒み得ても、既に存在するものはどうなるか。旭川を含む上川地方全域を管轄する上川支庁は、数年前に北海道庁の判断で市の中心から永山地区に移行した。駅前 集中ではなく、地区分散の方向である。旭川に地域発展のビジョンを持ち、再生を図るグランドデザインを描く人材が出るのだろうかと心配をしていたのだが、此の数日のニュースによると、セブン&アイ・ホールディングスが西武百貨店を統合するという。駅前に目立つ大型店は、伊勢丹系の丸井も含めて、全国的な流通業界の再編の流れの中で動いて行くことになるのだろう。既に郊外型の巨艦を創ったイオン・グループを含めて、これから旭川はどう代わるのか。旅行者に取っても魅力ある街になるのかどうか。来年は古い歴史を知る人にとっても、未来の都市像を夢見る人達にとっても、興味の深い年になることだろう。

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