2006年(平成18年)1月1日号

No.310

銀座一丁目新聞

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山と私

(25)
国分 リン

−世界の最高峰サガルマータが見えた・見えた!−
2

 10月9日(日)晴れ パグディン(2,620m)〜ナムチェ・バザール(3,440m)
 朝6時モーニングティを手におはようございますとスタッフの声で起こされ熱い紅茶を頂く。その後洗面のため器にお湯がたっぷり準備され顔を洗った後に岩崎先生伝授の足を入れて暖め、洗った後の気持ち良さは毎日の癖になる。出発の準備をして7時から朝食はおいしいお粥に岩崎先生お袋手製3Kgの梅干と梅肉エキス、塩昆布やちりめん雑魚にお茶漬け海苔に、毎日皆助けられ感謝をしつつ食した。これが朝の食事の楽しみでした。美味しくておかわりをし、そこへホットケーキと蜂蜜・卵料理も完食し、ミルクティを3杯も飲み満足した。岩崎先生の食へのこだわりは、私達にとってとても幸せである。
 今日のコースはシェルパ族の故郷ナムテェ・バザールまでの800mの標高差をゆっくりと楽しんで歩く。登山道は歩きやすく石垣で畑が区切られ小松菜らしい青菜とジャガイモが4500m位まで育てられていた。小さな部落を通るときに5,6歳位の子供達が挨拶と一緒に手を出すさまにギブミーチョコを思い出し、何か恥ずかしい気がした。
 ドウード・コシ河原の木製の橋を渡ると白い大きな峰に驚く。あれは<タムセルク(6608m)>と教えられた。この大きな峰はこれからの道中にたびたび姿を表した。
 この日大きな長い吊橋を4回もわたったが、鉄製で重い荷物をはこぶゾッキョやヤクが何頭も渡っても平気な鉄橋に外国の援助で切り替えられ、以前はよくこの川を渡るのに難儀したと教えられた。
 
 モンジュ村に入るとサガルマータ国立公園管理事務所・日本流に言えば関所があり、武装兵が監視していた。ゲリラ対策らしい。

 背に太陽の恵みを受け気分の良い歩きが続き、少しずつ高度を上げ、また道の両側に石の家が並びだしジョサレと黄色の古ぼけた看板が目に入るとここでお昼です、私達はレストランへ、スタッフのキッチンボーイ達は先に着いて、道路隔てたロッジの台所ですでに食事の準備が出来ていた。たっぷりの紅茶を飲みながら待つとラーメンと揚げパンに鰯の缶詰とジャガイモで、美味しくまたまた完食。ゆっくり休憩を取る。午後はいよいよ標高差600mの登り、高所順応のためかスロー・スローのペースで歩く。石段の道になり、この登りが一番長く感じられた。やがて眼下にナムチェ・バザールの集落が見えた。ここはシェルパ族の故郷でエベレスト登山やネパールトレッキングの中心地である。すり鉢状に集落が拡がり、段々畑に石造りの建物が並び窓枠がグリーン・ブルー・イエローなどカラフルで30軒ほどのロッジがあるという。私たちのテント場は今回サーダのニマタシ家の広場に準備されていた。ここはかなりの高台にあり気持ちが緩んだ後の登りのきつかったことを思う。お茶や食事場所に提供された二マタシの家、始めてシェルパの生活場所へお邪魔をした。30畳程の広間の中央に暖炉があり、入口と別室を結ぶカウンターを除く三面は全部窓がありカーテンがかけられ夜はベッドに早代わりのベンチが造られ絨毯やクッションが置かれている。ニマタシの家族の写真が飾られ、大きな立派なテレビもあり、余裕の生活が窺える。ニマタシのご両親が今も生活をされ、シェルパを代々引き継ぎをしたと聴く。
 夕食はウーロン茶・岩崎先生直伝のオクラ納豆ご飯にかき揚げ天・高野豆腐の煮物に卵スープの献立で完食。夕食後皆がお世話になるネパールのスタッフが紹介された。サーダのニマタシ、セカンドサーダのナムカ、コック長のナムギャル(サーダと同格)キッチン関係が6名、パーソナルポーターが4名、ポーターが6名、ゾッキョ使いが2名、と総勢22人、20代前半が多い。それにゾッキョがトータルで9頭とのことで日本の山登りでは想像も出来ない。
 テント場の横に集会場があり、その夜はお祭りの集会があり、遅くまで太鼓や歌声が聞こえ賑やかだ。でも今日の行程は長かったのですぐ寝付いた。
 
 10月10日(月)晴れ ナムチェ・バザール(高所順応日)
 今日はこの高度に適応させるためこの地周辺を散策の予定、5時半にモーニングティで起こされテントの外に出ると前方にテンギリカウ(6500m)そしてコンデ・リ(6187m)の氷壁に光が差し赤から金色に変わる様子は素晴らしい。6時にテント場から15分ほどでジャンカルの丘に登る。初めて見るエベレスト(8848m)に興奮しきり、望見した山並みの名を先生に伺うと左からクンビラ(5761m),タウチェ(6542m)、ヌプツェ(7879m)、エベレスト、ローツェ(8516m)、アマダブラム(6856m)、カンテガ(6799m)、タムセルク(6608m)、クスムカングル(6369m)などのヒマラヤの揃い踏みである。これがこれを見たかった。私の夢、もっと近くで見たい。夢は膨らむ。
 
 テント場へ戻り身軽な格好でシャンボチェ飛行場へ、途中ヒマラヤリンドウの青の色が光を受けてそこかしこに咲いている。星型のキキョウの紫もかわいい。シャンボチェ飛行場は舗装もされておらず草原が広がっている。ここは日本人の宮盛氏経営のエベレスト・ビューホテルがある場所と聞いていたので、じっと佇んで頭に刻む。日がサンサンとあたり暖かなレストランでタムセルクとカンテガの雄姿をみながらレモンティを飲む幸せである。ナムチェ・バザールヘお昼に戻った。昼食はソバにサンドイッチ、ポテトフライ、ツナ、野菜炒めで美味しく頂く。メインストリートはお土産屋が軒を連ねているが皆カトマンズから運んでいるので買うのは止めたほうがいいとのアドバイスがあった。皆絵葉書を買い送ると聞きアドレス帳を忘れてがっかりする。後で皆が帰ってから着いたと聞いた。
 夕食は日本風ジャガイモごろごろのカレーライスとモモ(餃子)でこれも美味しく頂く。
ダイアモックス半粒を岩崎先生から頂き服用する。その夜は2時間半毎に一度トイレに起きた。でも寝不足感はないので熟睡状態と安心する。

 10月11日(火)晴れ ナムチェ・バザール〜ポルツェ・タンガ(3680m)
近所の女の子も我々のスポニチストレッチの真似をして、楽しそうで長い黒髪をなびかせている。若い子はどこでも溌剌で華やかだ。今日からパーソナルポーターに荷物を運んでもらう。テント場の傍の階段からスタートすぐ山道へ入るが平坦な山道になり、右側はドゥード・コシ川が遥か下を流れ、山側や傾斜の切れ落ちた谷側は低木のつつじ科の香木があり、緑の季節はとてもきれいだろうと想像する。
タムセルクやアマダブラムが一段と近くなり、ここからの歩きは天園状態のようだ。アマダブラムロッジはその名の通りドーンとアマダブラムが聳え立つ前にいすやテーブルがありお茶が飲める。ゆっくり休憩後、歩きはじめる。また景色を眺めてゆっくり歩く。モン・ラ(峠)へ着くと草地にブルーのシートが敷かれそこで昼食を摂る。ラーメンと海苔餅、ジャガイモ、蒸パンをおいしく頂く。Oさんは高度障害からか食欲がなく行動もゆっくりで気力で歩いている感じだ。シートに横になっているが眠りに就いてはいけないと教えられている。皆で最後のゴーキョ・ピークへ行きたいと改めて思う。峠からはドゥード。コシ川へ向かい坂道を下る。テント場のポルツェ・タンガへ長い下りが続く。河原に出て小さい橋を渡るとテント場に着いた。ロッジは小さく電気もなくトイレは乾草が積み重ねられていて用が済んだらこの草を落とし、有機堆肥になるという。静かで寂しいテント場だが、川の音だけが賑やかだ。この地は95年明治大学OBが雪崩にあい死亡した場所で、当時岩崎先生も長期間滞在し、救出活動にあたられたと聞き、余計に寂しさを感じた。夕食はきのこご飯とうどんをおいしくたべた。ダイヤモックス半粒を服用した。相変らず3時間おきにトイレ通い、さすが夜中は霜が降り寒さがひとしおだ。でも高山病にかかりたくないこのくらい我慢しよう。

 10月12日(水)晴れ ポルツェ・タンガ〜ドーレ(4200m)
 昨夜、高山病の兆候が男性Hさんにでた。彼は薬を服用していなかった。顔や手足にむくみが出て頭痛で眠れず辛くて我慢も出来ず岩崎先生に連絡してダイヤモックスを服用したら幸いにも治まった。もうここで断念かと思ったと聞き、治ってよかった。やはり薬が必要と思う。
 朝起きると小屋の前で少女がゾッキョの生々しい糞を手の中で平らにして石垣に打ち付けて乾燥させているのを見た。私たちがカメラを構えても臆することもなく笑顔を向ける。立派に仕事をしている自信からだろう。また親子連れが糞を拾い篭へ入れていた。薪よりも手軽に貴重な燃料となり、厳しい冬支度である。
 昨日下った分を登りかえすため、登山道はすぐに登りとなる。初めは樹林帯で石楠花の木が多く、さぞ花の時期は素晴らしいだろう。また樹木にサルオガセが長くたくさんぶら下がっていた。花を探しながらゆっくり遊びながらひたすら登っていたら、男性Yさんが調子を崩し、岩崎先生へ連絡し対策を取っていただく。大丈夫か心配である。4000m付近まで樹木が見られた。登りつめていくと森林限界地点になる。やがてチョー・オユー(8201m)の姿が見えた。ゆっくりと3時間余りかけて草原の地で今夜のテント場ドーレへお昼に到着。ロッジは丘の上にありレストランでの食事はそこまでキッチンボーイが出来上がった料理を運んでくれる。お昼はお握りとラーメン、ソーセージにジャガイモを食べた。Yさんは38.5度まで熱が出て、薬を服用し、ほぼ平常のペースに戻られたが、眠ると高山病は進むらしいので心配である。午後はそれぞれテントの中で過ごすが、私とSさんUさんは丘へ登り山の歌を数々歌った。腹式呼吸は楽のような気がした。ここは4000mを越えているので高度順応の適応状況が分かれ道になるので、水分を意識的に多く摂り循環をよくすることに勤めた。夕食は嬉しいことにおいなりさんとソバ、なす炒めに青菜をまた美味しくいただけた。相変らず夜中に3回トイレに起きたが、降るような星空に感激した。
                      次回へつづく

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