2005年(平成17年)8月20日号

No.297

銀座一丁目新聞

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安全地帯(118)

信濃 太郎

 僧頭に太き汗かく夏比叡  邦弘

 かっては新聞記者であった僧侶の広瀬邦弘さん(北九州市在住)から句集「青嵐」(自鳴鐘叢書第80輯)が送られてきた。14歳も年下だが満州生まれで誕生月も8月と同じだというので親近感をもって読んだ。私は少年期を10年間、ハルピンと大連で過ごした。誕生日は8月31日である。広瀬さんが俳句を始めたのは51歳。当時朝日新聞西部本社の地方版編集におられた。俳句歴は15年になる。私が俳句を始めたのは75歳の時で、まだ5年しかたっていない。句集には587句の素晴らしい俳句が収められている。その俳句から前向きで、向学心旺盛な方とお見受けした。師事した寺井谷子さんにかなりしごかれたようである。序文に寺井谷子さんは書く「私は遠慮なく邦弘さんの句を削っていった。曰く『俳句は報告ではありません』『俳句は見出しではありません』『社会情勢や事件(いわゆる時事俳句)は俳句で書けます。書いてください。ただしこの句は俳句に消化されていません」目に浮かぶようである。とても心優しい寺井さんは毒舌家だった父親の横山白虹さんに似たのであろうか、添削の時は辛らつである。新聞記者は見出しをつけるのは上手い。新聞見出しと俳句は違う。私などは最近やっとこのことがわかった。
心に響いた俳句を綴る。
抑留の名は片仮名ばかり花は葉に
 (引き揚げ記者であったのでカタカナの名前と準備した名簿の照合に  苦労した事が思い出される)

 隣家にはミルク匂いて雪柳
 終戦日妻と二人のだんご汁
 やじうまの中に医師おり火事現場
 熱燗や果たして異動の打診なり
 (酒が飲めない私の場合、異動の話は喫茶店であった)

 警察署の石段のぼる秋の蟹
 (戦後2年間サツまわりをやった。食うために選んだ新聞記者であった  。都内の五署担当させられたので廻るのが忙しいかった。私は『秋の  トンボ』であった)

 終戦や誕生月や蝉あらし
 (西富士の演習場で終戦を迎えた。復員したのが誕生日であった。愛知  県岡崎市は一面焼け野原であった)

 濃紫陽花こころ通わぬまま別れ
 逝きしこと知りてか群れるあかとんぼ
 ニ・ニ六その一日は雨となる 
 (何故か2・26事件に関心があり、その蔵書は10冊を超える)
 僧頭に太き汗かく夏比叡
 早口の般若心経小鳥来る
 走りまた走り修業や霧深し
 (定年退職後亡き父の跡を継いで僧侶になる。私などは羨ましい。2ヶ  月の厳しい修業をしたという。毎日にも現役の記者ながら僧侶の資  格をとり雲水の有様を連載記事にした男がいた)

 縁あって今ここに居る曼珠沙華
 (お互いに独立独歩の我が家ではこのような句は読めない。妻とのあ  りようは千差万別だと思う。あえて表現すれば『赤き薔薇』か)

 生き死には国もありぬ冬の星
同業であった広瀬邦弘さんにエールがわりわに私の拙い句を送る。

 満州や包子食いたし遠花火  悠々

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