2005年(平成17年)8月20日号

No.297

銀座一丁目新聞

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(14)

「買物公園の歳月」

−宮崎 徹−

 旭川の駅前から北の石狩川に向う大通りは旭川の目抜きの商店街として名高い。駅と戦前の第七師団を結ぶ此の通りは師団通りと呼ばれていた。道北の小売業の中心であり市民ばかりか農村や周辺市町村の住民にとっても、 「ハレ」の日の買い物をする盛り場であった。
 昭和二十年の敗戦で軍都は一変、時代の先端を切って此の通りは平和通りと改名された。農地開放による周辺農民の所得向上に支えられて、依然として此の通りは旭川のメインストリートであり、旭川の顔であることが、商店街の人達の自負であった。此の誇りは、昭和三十八年に登場した五十嵐革新青年市長の提唱した買物公園構想とその実現によって更に高揚したと云えよう。
 特定の日時に道路の交通規制で人の流れを止め、そこでイベントを催すことは、古来から祇園祭、博多山笠、阿波踊りを始め全国的に行われているが、旭川の場合は恒久的にメインストリートを歩行者の空間にし 、更に樹木を植え、恒久的な施設・遊具を設置して車両の交通を止めるというものだった。これまで平和通りは半分は国道、半分は道道なので、これを市道に移管しなければ自由な利用は出来ない。其の上此の移管によって平和通りを市道に出来ても、これとクロスして東西に走る車までシャット・アウト出来ないので歩行者はその場合は何度も立ち止まらねばならない。知事・道庁・道警察本部・北海道開発局など、官側の 許可・了解を得ることは大変な問題であったが、市民側からも公園化の特質についての疑問や意見が寄せられた。
 このことについて仔細は省略するが、昭和四十四年の夏に十三日間実験という形で《買物公園》が実施された。臨時の催しだから路上にはテントやベンチが中心だが、車の走らない自由さを市民や旅行者に味わって貰う ためだった。
 これによって旭川市の住民も買物公園の造成に市民的要求が起きたという判断で、昭和三十八年市長就任以来の構想は、四十七年六月恒久化へスタートした。こうして商店街の若い経営者達と市民の若手職員の努力で、全国で初めての恒久的歩行者天国 が完成した。市民の声が官庁を動かすという意味でも画期的なものだったと思う。
 昭和四十年代、此の通りはバス・タクシーの営業車や、会社社用の商業車が多く、バイパスが出来ていない時代だったから、道北から札幌へ向かう通過交通の台数も多かった。 この公園通りにより人に優しい道路として市民によろこばれていたが、昭和五十年代になるとモータリゼーションの進行と所得の増大で、市民の多くはオーナードライヴァーになり、家族で都心に来るが、買物公園には公共駐車場がないので、離れた場所 まで行って有料の駐車場を探し求める。
 また此の時期に旭川の郊外にも、本州の諸都市と同じく大型店が進出を始めた。モータリゼーションの流れの中では当然の成り行きで、それらは二階か三階の中層のビルで屋上又は隣地に駐車場を設けて無料である。多少の遊具も有って子供の遊び場 にもなる。消費者に優しいという意味からは此の方が歓迎されるようになった。
 昭和五十四年に日本商工会議所が地域商業近代化の成功例として旭川の買物公園の事例を取り上げているが、其の末尾で成功の理由の一つに札幌経済圏依存からの脱却という点を挙げている。昭和四十年、当時の国鉄は難所だったカムイ古潭のトンネル工事に着手、札幌−旭川間を複線電化として三時間の所要時間を一時間四十五分に短縮する計画 だった(現在は一時間二十分)。旭川としては独自の経済圏の必要に迫られていた。つまり札幌圏の吸引力への対策で、この公園市場を重要視していたのであった。
 札幌の大通公園はもともと防火帯として造られたので、あれだけの巾を持つと云う。旭川の買物公園の巾は狭い。買物を主としたから若手経営者は行動し、公園でもあるから相当額 の市費が投入された。バブルの崩壊で、買物公園の百貨店・大型店舗には、道外資本の進出が増して、今後の改修に関しては、自己負担の率を上げないと市民の納得は得られ ないだろう。
 ただ、札幌の一極集中の特化とは別に、駅前中心街の不振は 高速道路の関係で国内共通の問題となって来て、全国の都市計画の見直しが、今後の方針となるという。これについてはまた取り上げてみたい。
 旭川駅に初めて降り立つ人は、ぜひ正面の買物公園入口から、突き当たりのロータリーまで歩いていただきたい。入口にあるブロンズは佐藤忠良氏の「若い女・夏」である。モデルは笹戸千津子さん。佐藤氏の門下生で、東京宝塚劇場前のブロンズは笹戸さんの作品で ある。師弟共に旭川人には親しまれて居て、買物公園の初期からの立像は、何時までもみずみずしい感性を保ちながら、街の変遷を眺めているようだ。

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