1998年(平成10年)5月1日(旬刊)

No.38

銀座一丁目新聞

 

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茶説

子供たちと「創造的コミュニケーション」の場を

牧念人 悠々

 金属バットで中学3年生の長男(当時14歳)を殺害した父親(53歳)に対して懲役3年の判決があった(4月18日、東京地裁)

 裁判長は被告に同情を寄せながらも「悲惨な結末を回避するためになお努力する余地はあった」といい、また「将来に希望と可能性を秘めた長男の命を奪った結果は重大である」と述べている。

 筆者も同感である。「いかなる事情でもいかなる目的のためにも人を殺してはならない。これが宗教なきわが国のぎりぎりの思想であってほしいと思う」(加賀乙彦著「犯罪ノート」安楽死の項より)。判決の考え方もこれに治ったものであろう。
家庭でも学校でも子供たちの暴力沙汰が少なくない昨今、親たち、先生方はどう対処すればよいのか。

 新聞に掲載された評論家の話によれば、親は逃げるほかないとコメントしている。しかし、子供の成長を願わず、殺すのは親として戦うことを放棄した逃げであると言っていい。
親子とはいえ、相手が暴力を振ってきた時には、こちらも戦わねばならない。相手を徹底的に痛めつけ、二度と立ち上がれないようにすべきで、親としてそれぐらいの覚悟がほしい。

 人間の心理からすれば、無抵抗であればあるほど相手は図にのって暴力を振るうものである。暴力行為に出ることによって、自分のイライラや欲求不満を解決する。欲求不満をなくす方法は、いくらでもある。

 子供と登山に行ったり、友人とキャンプに行くことを勧めたり、時にはコンサートに連れていったりしてもいい。

 もっとも、子供が暴力的振る舞いに出る前に親子の間に「創造的コミュニケーション」をつくり、事故を未然に防ぐのが最上である。「創造的コミュニケーション」とは「心が洗われ、なんらかの新たな自己発見と確証が得られるような対話」を言う。

 子供が暴力を振るうようになるにはそれなりの理由がある。親が子の欲しがるものをすべて買い与える、悪さをしても叱らない、子の言いなりになる、近所の子供たちと遊ばない、兄弟も少ない。こういった環境の中で育つ子供たちが、ガマンする、順序を守る、しつけ、孝行する、といった人間として身につけなければならない基本的な徳目を学ぶ機会がほとんどない。

 親子の対話を通じ、時には行動を共にすることによって、子供を感動させ、知的刺激を与え、心が洗われるような思いをさせなければならない。
家庭でも学校でもこのような配慮がほしい。それもふだんからコツコツとした積み重ねが大切なのである。

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