1998年(平成10年)5月1日(旬刊)

No.38

銀座一丁目新聞

 

ホーム
茶説
映画紹介
耳よりな話
個人美術館の旅
連載小説
気軽に心理学
ゴン太の日記帳
海上の森
告知板
バックナンバー

映画紹介

愛の破片

大竹 洋子

監  督 ヴェルナー・シュレーター
音楽 監督
ピアノ伴奏
エリザベット・クーパー
撮  影 エルフィ・ミケシュ
美術・衣裳 アルベルト・バルザック
配  給 セテラ


1996年/ドイツ・フランス合作/カラー/ドルビーSRD/122分

 音楽の歓びをしみじみと味わせてくれる映画「愛の破片」は、ドイツの映像作家であり、オペラの演出家としても知られるヴェルナー・シュレーターの、きわめて私的な作品である。パリ近郊にある中世の修道院に、シュレーターは彼が愛してやまないオペラ歌手を招待する。すでに引退している人、年はとっても歌いつづけている人、今を盛りに活躍している人……。やがて彼らが繰り広げる歌の饗宴。シュレーターの道楽ここに極まれり、といった趣きもないではないが、しかしその道楽がもたらす至福の時を、私は感謝せずにはいられない。

 さらにいえば、音楽は音楽にとどまらず、歌い手たちの人生を映し出すことになる。シュレーターはどの歌手にもきまって訊ねる。愛と死についてどう思うかと。なぜなら、オペラの普遍的なテーマは愛と死であり、舞台の上でこの“愛と死”を体現しつづけた人たちこそ、シュレーターにとって最も大切な人生の経験者だからである。

 映画がはじまり、すぐにプッチーニのオペラ「ボエーム」の“ムゼッタのワルツ”が流れると、私はたちまちこの作品の中に没入した。次はクリスティンとキャサリーンのチーシンスキ姉妹によるベルリオーズの歌劇「ベアトリスとベネディクト」の二重唱である。同じ声質をもつ姉妹の二重唱の美しさはたとえようがない。それからリトアニア出身のテノール、セルゲイ・ラリンが歌うベートーヴェン作曲「フィデリオ」のアリア、これはほんの少しで打ち切られ、映画の後半で全曲が歌われる仕掛けになっている。この方法はその後も何度か行われ、観る者を欲求不満にさせる。しかしこれが監督の意図だから仕方がない。ラリンはジョルダーノのオペラ「フェードラ」のアリアも歌う。

 つづいてマルタ・メードルが歌うチャイコフスキーの歌劇「スペードの女王」の伯爵夫人のアリアがすばらしい。マルタ・メードルはドイツが生んだソプラノの名歌手である。ヨーロッパ各地の歌劇場で活躍し、とりわけバイロイト音楽祭の女王として君臨した。85歳の今も、脇役に回ったものの現役である。映画の全編を通してたびたび歌われるこの伯爵夫人のアリアの最後のフレーズ、ジュ ヌ セ パ プルクワ(なぜなのか、私は知らない)は、円熟した彼女の内面を反映してあまりある。彼女がフルトヴェングラーについて語るシーンがある。この大指揮者と同時代に生きたということは、メードルもまた、第二次世界大戦中の一時期をヒトラーのもとで過ごしたことであり、そこに20世紀の歴史が浮かび上がることになる。

 シュレーターと共に訊き手として登場するのが、フランスのスター女優イザベル・ユペールである。ユペールが声楽を勉強しているのは意外だった。そして、どちらかといえばアクの強い役を演じることの多いユペールが、メードルの指導を受けつつモーツァルトのアリアを歌うと、ユペールはまるで幼な児のように素直で素朴になる。同じフランスの女優キャロル・ブーケもインタビュアーで出演する。この二人の登場で映画はぐんと華やかさを増す。心豊かな女性たちは、音楽と映画のジャンルをこえて一つの系譜を作り上りあげる。

 珠玉のような音楽の数々の合間に、街の風景が脈絡なく挿入される。群立するビル、地下鉄の構内、公園の噴水、映画監督シュレーターの自己主張であろう。窓の外には日常の生活があり、内側では夢のような音楽芸術の世界が花開いている。だけれど、と私は思う。音楽だけで充分だ、オペラ歌手の肖像だけで充分だと。その私の思いは、後になってようやく姿を現す幻のソプラノ歌手、アニタ・チェルケッテイによって確固たるものになる。

 1931年イタリアに生まれたチェルケッティは、20歳でオペラ・デビュー、マリア・カラスの再来ともてはやされた。「アイーダ」「トロヴァトーレ」「ナブッコ」「仮面舞踏会」「ノルマ」と、次々に至難なレパートリーに挑戦して成功したが、あまりにも技巧を要する作品を歌いつづけたことから声を失い、30歳で引退という劇的な歌手生活を送った人である。引退後の消息は杳として知れず、レコードも彼女の希望で店頭から消えてしまった。19歳の頃にチェルケッティの声に魅了されて以来、シュレーターは彼女の行方を探しつづけた。そして30年後にみつけだすことになるのだが、彼のオペラへの執念は、さらに溯って14歳で聴いたマリア・カラスの歌声に始まるのだという。

 映画の終盤、チェルケッティの名演奏といわれるベルリーニの「ノルマ」のアリア、“清らかな女神”がレコードから流れる。カスタ ディーヴァと呟くように合せていたチェルケッティは、やがて大きく口を開き、まさに今、歌っているかのように、音楽と彼女の表情はぴたりと重なる。私も心の中で一緒に歌った。チェルケッティが、かつての自分の美声に酔いしれていると思う人がいるかもしれない。しかしこれはオペラを歌った人にしか解らないであろう。彼女は本当に歌っているのである。決して自己陶酔ではなく、これが彼女の人生そのものなのである。私はすっかり感動してしまう。そして突然思ったのだ。もし生まれ変わることができたなら、来世はオペラ歌手になろう。

 画面ではほかにもメゾ・ソプラノのリタ・ゴール、トゥルデリーゼ・シュミット、ソプラノのジェニー・ドリヴァラ、ゲイル・ギルモア、テノールのローレンス・ディルが語り、歌う。そして、マリア・カラスと全ての歌手たちに捧げる、という献辞をもってこの映画は終わりを告げる。

6月13日(土)よりBOX東中野(03-5389-6780)で上映

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。
www@hb-arts.co.jp