2004年(平成16年)11月1日号

No.268

銀座一丁目新聞

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山と私

(12)
国分 リン

−憧れの岩稜「剱岳」−

  スポニチ登山学校の3年目エキスパートコースのメイン剱岳登山、7期生は皆それぞれこれに向かいトレーニングを重ね申込みをした。名簿を見るとこの3年間で始めての7期生だけ10名の参加である。この夏は異常気象で記録続出の猛暑である。

 8月6日(金)この日中も34度で暑くてたまらない。新宿夜22時久しぶりの顔合わせでひとしきりお喋りで賑わう。23時頃になると皆寝る体制になり、お互い譲り合い足を伸ばして眠る事が出来、一安心。

 8月7日(土)早朝5時に長野県扇沢の駐車場へ着いた。お天気良し。ここは黒部立山アルペンルートの玄関である。始発の7時発一路室堂を目指す。途中黒4ダムから黒部平、大観峰は人間の作った偉大としか言いようのない建造物にただ頭が下がる。
 9時に富山県室堂へ到着。親の介護の為富山へ帰省していた友が駆けつけていた。雄山と剣へ親の回復祈願をするためぜひの参加である。ストレッチをして体をほぐし、寺田先生を先頭に一列で歩き出す。一ノ越までは完璧なまで整備された道で、スニーカーで楽に歩ける道で観光客用になっているらしい。一ノ越へ着き、眺めがよく五色ガ原や薬師岳がうっすらと望むことができた。この先山道になり大小様々な石で歩きにくく、三ノ越までとても辛いきつい登りであえぎながら一歩一歩進む。
 11時20分に雄山(3003m)へ到着。大勢の人々が雄山神社へお参りをしている。私は渕上さん、この山行の安全、友は母へそれぞれの思いで深くお参りをした。黒い雲が来てポツポツと雨が落ちてきて慌てて雨具をつける。まわりには青空が見え渕上さんのいたずらのような雨である。雄山を後にして縦走路を岩つたいに稜線を巻くように進み、大汝荘の休憩所前を通る。ここまでが賑わいの限界。岩場をひと登りしたら立山最高峰大汝山(3015m)へ、あいにくガスが上がり後立山連峰が隠れている。でもとても静かな頂である。
 急下降した頃、尾形先生からこの右側の大きな広がりが内蔵助カールで氷河時代の名残ですよの説明にしばし感慨を持って望む。砂礫の緩やかな道を登ると、真砂岳(2,861m)もうすっかりガスに覆われている。その頃久しぶりに山を歩く友の1人が救いを先生に求めた。尾形先生がザックを二つ担ぎ、後ろからゆっくり彼女のペースに合わせて歩く。縦走路をさらに進むと別山山頂(2880m)に14時20分到着。剣岳が眼前に大きくそびえるはずが霧の衣を纏っている。残念である。風も冷たくなり、雨具をつけチョッピリ休む。30分程で今夜の宿の剣沢小屋だよとの先生の声で、皆元気になり15時30分に無事着いた。ばてた彼女も随分元気になっているので安心した。
 剣沢小屋はとても快適である。シャワーも使えるし、何より水洗トイレである。このシーズン真っ最中で大混雑を予想したが、程よい賑わいで、佐伯オーナーの計らいで1人一枚の布団を頂けた。
明日の剣岳に向け「余分な荷物は絶対持たない事」の尾形先生の命に従い準備を済ませ早めに休む。皆もよく眠れたようだ。

 8月8日(日)晴れ、4時起床 朝食を済ませ、胸の高鳴りを沈め、ストレッチをする。皆の表情も緊張気味である。寺田先生をトップに歩き出す。今年は猛暑で雪渓渡りは一ヶ所だけでほとんどないようである。剣岳が赤くシルエットで浮かぶ。剣山荘へ着くとあたりは明るくなる。今年は花も早く数種類のトリカブトが一杯咲いて紫の斜面に驚く。トウヤクリンドウ・タテヤマリンドウの大株に感激する。この花に救われながらゆっくり登ると次第に急騰になる。6時10分に一服剣へ到着。後方に剣沢、前方の圧倒される岩山は前剣、皆まだまだ緊張の糸を張り詰めたまま前方を睨み、休む。気合を入れ、一旦下ってコルを越えて岩ゴロの急坂を喘ぎながら登ると前剣へ8時30分である。前方に剣の岩稜が大きく大きく姿を現し私たちに挑戦を突きつけているようである。いよいよここからが慎重さと度胸で登らなくてはと肝に銘じる。やせた岩稜を下ると鎖場にでた。鎖をかてに夢中で通過する。鎖場を下ると平蔵谷上の岩場にでて、これを登り左の東大谷側へ入る。2番目の鎖場は岩稜通しで慎重に夢中で進む。いよいよカニのタテバイの大きな一枚岩が立ちはだかる。寺田先生がトップで登る。垂直な壁の随所に太いボルトが打ち込まれている所へ緒方先生の掛け声に一人一人手を伸ばし足をかけて3点指示を守り必死で登る。ここは登り専用の一方通行である。幸いな事にいつもはここで渋滞するが、スムーズに通りぬけられた。9時であった。ここからは剣岳本峰が目前だ。岩ゴロの上を夢中で登り皆笑顔で9時半に到着。お互いに握手をし、皆やったやったの歓声をあげ、感激で目頭が熱くなった。故渕上さんの写真と皆で記念撮影を済ませ、ゆっくり心ゆくまで休む。360度展望で八つ峰や早月尾根・三の窓を尾形先生に教えていただき剣の難所を改めて納得した。
 帰路、下りの呼吸は苦しくないが逆に緊張の連続である。カニのヨコバイここは最大の難所と思う。度胸がないと一歩がなかなか踏み出せない。鎖にしがみつくと逆に足元が見えず、恐ろしいと感じてしまい不安だ。尾形先生の支持の声で皆救われる。鎖から手を離し、垂直のステンレスのはしごへ移るのが皆なかなかてこずり、先生方が行きつ戻りつして一人一人を安全地帯まで誘導していただく。
ここからが逆に怪我が多くなります。慎重にの注意に皆気を引き締めて下る。12時に一服剣、12時50分に剣山荘へ着く。ここからはヨツバシオガマ・ウサギキク・タテヤマリンドウの大株がある
お花畑が続くので写真を撮りながら13時50分剣沢小屋へ到着。
皆達成感でとてもいい顔をしている。

 7期生と先生方で剣沢小屋のテラスに於いて「渕上さんを偲ぶ会」をすることになり、平井リーダーを中心に皆が思い出を話し、皆で涙を流しながらも、渕上さんのいない悲しみを歌で紛らす。でも皆の暖かい心に触れ、それに一緒に渕上さんも剣に登ったのだと言い聞かせ、彼女は私達一人一人の心の中に生きている。皆を見守ってくれているのだと、思えるようなった。

 この3日間は渕上さんが逝去されて初7日目の山行でありました。

合掌

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