2004年(平成16年)11月1日号

No.268

銀座一丁目新聞

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自省抄(10)

池上三重子

 8月13日(旧暦6月28日)金曜日 快晴

 今日はお盆会入り。
 今年も新盆の迎え火にご縁なく生命体。感慨は微妙・・・。
 幾久しい憧憬・渇望の死は訪れず、祈りつぐ真情を憐憫の眼差しで眺めやりつつ太い吐息つく私を私は見る。反芻につぐ反芻の歳月は暗く長い。
喪いたくない愛別離苦のにんげん苦をなお存えて味わえとの生の与えか・・・。
 喪いたくない哀惜の人は私を知る人!何を歓ぶか・・・哀しむか・・・嘆くか・・・怒るか、又憎悪するか・・・を知る人・理解してくれた人々。
 音羽信子さん・・・辻桂子さん・・・麦谷真喜子さん・・・木曽幸子先生・・・神谷美恵子先生などなど。ここまで書いた時ひょっこり坂井満子さんと弟御来室。一歩先をくる満子さんがいきなり露出の私の脚膝下をタオルケットで覆い被せた。椅子に掛ける間もない程の間に数々の品を重ね置き説明も匆々に退室。
 礼子先生を見舞う途次の慌ただしいは昼食介助に間に合わせるため。彼女は先生ご夫妻に受け持たれた小学高学年の頃を忘れず、その感恩の情は倦まずたゆまず怠惰ない歳月・優に六十年を越えようか。
 弟御良次さんは帰り足をとめないまま水道の蛇口を捻ってくれた。音のない滴滴が見えたのであろう。姉弟それぞれの繊細な何気ない仕種に私は満たされ幸福だった。
麦谷喜美子さんは先記挙げた人々のなかでは一人だけ精神面では異邦人的存在といえるであろう。短歌誌「こすもす」会員の一人であるが、彼女ほど歌を愛し発表舞台を愛し主宰宮柊二師を愛し、積極的に中国・スイス・ペルー等へ連れなしの吟行に心身を燃焼尽くした歌人は数多くないのでなかろうか。天性も勉励。
 作品の是非善悪を云々するのではない
 偏執とも訝るほどの打ち込みようが、結果的に報いられなかった情熱が私の胸を締め縛る。
 彼女は若い頃、劇団員として活躍したらしい。
 短歌活動も先記した通りで作家自負?もなみなみならぬものであった。
 「あたしはね、歌会の互選に入る歌を作ることには自信があるよ」
 自信通理であった。歌集「金翅鳥」を遅く会員になった私に見せてくれた。
 母上の死を、母上と二人暮らからの解放と受け留めたという心情に違和感を抱いたのであるが、交流の歳月にしだいに具体化されていく。
彼女は弟子を持っていた。弟子?とこれも違和感のひとつであった。支部古参の彼女に歌をみてもらう会員は皆その名で呼ばれていた。
彼女が特に目をかけていたらしい一人から、ある時TEL。「もうこれ以上従いていけない」と。尤も最初は人を介してであった。彼女は愕いた。直接本人にTEL,事実を確認した。確認は容認とはならなかった。十五キロ痩せたと便りにあった。
 彼女は毎年夏、天草にきた。
暑っ暑ッとくちばしりつつ床に降ろすリュックはどさりと重量感。彼女のほてる顔は汗にまみれていた。
 歳の離れた会員との連れの時があった。彼女が用事を頼んだ。空席のあいだに私は囁いた。お巻きさんっ、あの方にたのまいで自分で行ったら良いのに。可哀相世、失礼世と。良いのよ、あたし歌見てやってんだから・・・と言下に返された。 
 私は思い合わせずにいられなかった。
 四国の姉が瀕死の入院中、義兄から次々病状が伝えられ、ついに訃報・・・。彼女に予定の変更を頼んだ。彼女は訪れた。
 細字が読みにくい時期の頃。彼女は吟行先の四国四万十川畦の宿から鉛筆のはしり書き・・・読みにくいと思うから誰かに読んでもらってと。 
 彼女は徹底して利己的人間であった。
思いやる美しさ、謙譲の優しさに遠い言動の人であった。真の孤独の強靭性を人にも身にも知らなかったのでは? あたら宝物的な遺産に。
 彼女の命を奪ったのは肺癌。告知されたよと告げに訪れた。別に異常は感じないといった。顔の,例のたっぷりの自信気も色艶も薄れていたが、したたかな気丈の精根は見えた。
彼女が訪ねるたびに母を慮る私は平清盛の嫡男・重盛の苦衷をおもいカフカの変身が甦った。
彼女の最後の消息は新潟県からであった。
新潟県は歌の師・歌誌コスモス主宰宮柊二,北原白秋門直系の著名歌人の郷里である。かたくりの花の傍らにしゃがみこみ,帽子を頭ににっこり笑顔の写真が同封されていた。その表情は浮腫にかかわらず真底うれしい心情を湛えていた。倚座位の私の目も胸もあつくうるおされていた。
 一時期,姉上に代わって学資の支援をした医師夫妻の家に押しかけての同居人になった。医師は姉上の一人息子。彼女は息子と言った。矜りともした。何よりも寄らば大樹であった。
 あなたは母ではない。叔母です。きびしい表情と口調でいわれようと彼女の心は撥ね返した。
 おまきさん・・・あなたは気丈な印象を与えた。小太りの筋肉質の体躯は中背。舞台の演技は知らないけれど,恋多く相聞の相手も歌もあなたは詳しく語って呉れた。健康体そのもの象徴の顔面はかがやき満ちていた。
 あなたの芯は脆かった、エネルギーは外に放出され乏しい残滓が内側に向けられたのではなかったか。
 あなたが私に寄せてくれた心情は真情,ともかくも実意でした。芋ね得ちゃんと出会いざま軽視の笑いを浮かべてその目を職員から私に移したあの一瞬,辟易と困惑が私の鼓動をはや打ちさせた。
 あなたは率直でした。歌誌上,重鎮の一人,富山市長との相聞歌発表も,小心の私は大胆なあなたよりお相手の外聞へおもいやったものです。
 おまきさん・・・.
あなたに心の香華をささげます。
 例年8月15日。恩師木曾幸子先生に拝受した桐の箱入幾種かのなかの沈香をたき、立つささやかな烟りと漂う香を聞くのですが,あなたを忘れたことはありません。
 ありがとう麦谷真喜子おまきさん。
 真に喜ぶ人生であれと名付けた父上?祖父御?菩提寺のご住職?いずれにしろあなたはあなたの本分をあなたらしさで充分表現された。発揚された。お見事でした。受けた辟易・・・困惑・・・憎しみすら昇華されてはすべては賜物・・・・天とも神ともからの頂きものです。
 母よ!
 こうした今日の一日でした。
 感謝は幸福感の代名詞なのですね。
 本当に今日もまた幸せでした。
 三拝九拝お礼心のペンです。
 夢見をお待ちします・・・



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