2004年(平成16年)11月1日号

No.268

銀座一丁目新聞

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花ある風景(182)

並木 徹

栄光の大連二中よ さらば・・・

 大連二中創立80周年記念大会と光丘会(OBの会)総会が開かれた(10月23日・東京・「アルカディア市ヶ谷」)。敗戦で学校が廃校になったのだが、卒業生とここで学んだ者たちは毎年のように記念大会と光丘総会を開き親睦を深めてきた。大連市に大正13年4月に開校した大連二中は今年で創立80周年を向かえた。最後の在校生は24回生、すでに年齢は72歳を超える。内地の学校のように毎年、入ってくる新会員がなく、しかも毎年、会員が減ってゆく会である。20年前から毎年会報「晨光」を発行、恩師の思い出、同窓生の消息や自分の苦難の体験記などを発表してきた。今年の7月の39号が最終号となった。
 この日の参加者はいつもの会の倍の210名(夫人7人)。北は北海道、南は鹿児島からはせ参じた。90歳になる6回生の二人が元気な姿を見せた。初代校長、丸山英一先生は先輩の話によれば「温和なゆったりした風格のある立派な」方であったと言う。先生がことあるごとの強調された「自由」 「質実剛健」 「負けじい魂」の精神は脈々と受け継がれ幾多の有為なる人材を輩出、敗戦後の日本の再建に大きな役割を果たした。また多くの校友たちがそれぞれの立場で当然のように日中の経済、文化交流に尽くした。「晨光」39号には13回生陳馨遠さん(大連市中日友好学友会・会長〉と17回生郭永田君(同名誉会長)が連名で一文を寄せている。その中で8回生の向坊隆さんが「大連理工大学向坊隆奨学金」を設立した話や8回生の河村幸一さんと17回生の辻武治君が作成した「たうんまっぷ―大連」が大連の都市建設と都市歴史を調べる上で価値ある資料となっていることを紹介している。
 最後の校歌を合唱した。「大陸かけて国の光 先づさしそめし満州や 大連市なる我が二中 ここにぞ学ぶ我等が幸 励めはげめ 撓まずはげめ」校歌を歌う友の目から涙が落ちた。みればあちこちで感極まって涙する校友が目に付く。一堂に会するのは今日が最後である。感慨無量のものがあった。

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