1998年(平成10年)4月10日(旬刊)

No.36

銀座一丁目新聞

 

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耳よりな話

 時は入学式シーズン。1年生になったら、1年生になったら、友だち100人できるかな、と声をはずませて歌う小学1年生のように、この人が100歳になったら、私たちも全員100歳になれるかもしれないと心が浮き立つような、そんな集まりがあった。44日、青山の日本青年館で行われた「婦団連創立45周年・櫛田会長の白寿を祝う会」である。

 婦団連は日本婦人団体連合会の略称で、19の団体と90万人の会員をもっている。そして去る217日に99歳のお誕生日を迎えたのが、当日の主賓で3代目会長の櫛田ふきさんなのである。

 ことしわたしは99歳。20世紀をまるごと生きて白寿をむかえた。見るべきものは見た。婦人運動半世紀、為すべきことは果たした……。その著書『20世紀をまるごと生きて』(日本評論社)の冒頭に、櫛田さんはそう書いている。その日のスピーチでも、櫛田さんはチャーミングな笑顔でこう加えた。「わたしが先頭を切って100歳になります。これからは、女性は誰でも100歳になれることを証明します」と。

 1899年生まれの櫛田さんは、日本女子大在学中に19歳で結婚、二人の子どもを得た。しかし35歳で夫に死に別れたとき、女は自立していなければ、子どもを生む資格もないことに気づいたという。母子3人が生活するためにさまざまな仕事に手を染めるが、やがて宮本百合子や壷井栄との交友の中から、婦人運動にめざめてゆく。わけても平塚らいてうとの出会いが、櫛田さんの将来を決定した。一切の婦人運動は平和運動をもって完結する、と唱えたらいてうにならって、櫛田さんもまた平和運動一筋の道を歩きつづけたのである。

 20世紀の生き証人櫛田ふきさんが、お元気で21世紀にも生きてくださることを、多くの女性たちと共に切に願う。

 「がまんしてね」と励ました人のやさしさ想う4月4日の祝う会出席者の一人が詠んだ歌である。

                (Y.O

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