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小さな個人美術館の旅(32) ブリヂストン美術館 星 瑠璃子(エッセイスト) ひさしぶりにブリヂストン美術館に来た。この前に来たのは、モネ展だっただろうか。その時はたいそう混んでいて、つめかけた人々の頭越しに作品を眺めて帰ったのだが、時々行われる企画展は別として、いつもはここはひっそりと空いていて、とても大都会の真ん中にいる気がしない。 暗めの照明の下に彫刻の並べられた、ゆったりと広いロビー。その左右に、展示室がずっと奥の方まで続いている。入ってすぐ左手、第五展示室がいつも特集展示の行われる部屋で、この日は「小出楢重の自画像」展が開かれていた。その先には館蔵品を常設展示する第三、第四展示室。一度ロビーへ出て、向い側の第二展示室へと、十九世紀から今世紀にいたる絵画の流れを、私はいつも反対から回って見る。
ブリヂストン美術館が開設されたのは、大平洋戦争が終わって七年自に入った1952年1月のことだ。戦後の荒廃から立ち直って、人々がようやく静穏な日々をとりもどしつつあった時代に先がけての快挙であった。株式会社ブリヂストンの創業者故石橋正二郎氏が、かねてより収集してきたフランス印象派と近代日本の洋画を中心とするコレクションを広く一般に公開するために、ブリヂストン・ビルの完成を機に実現したのである。
小学校時代の絵の先生だった同郷の坂本繁二郎、青本繁などから収集を始めた石橋氏が、フランスの印象派を中心に西洋の絵画へと意欲的にコレクションの幅を広げてゆくのはおおむね第二次大戦直後だった。「絵なんかよりその日の生活が大事」と資産家たちが次々と絵を手放してゆく、あるいは、財産税などで持ちきれなくなったコレクターの手からフランス印象派のいい絵がどんどん海外に逃げてゆく時代に、積極的にこれを買った。「アメリカからバイヤーや画商が来て、向こうからみればタダみたいに安い作品をどんどん買ってゆく。これを防ぐために買い集めたのです」と氏は毎日新聞のインタビューに答えて語っている。(1967.4.19) いま、この美術館に展示されている作品の背後に、何かしら言葉にならないある雰囲気を感じるとしたら、それは、洋画に魅せられた先駆的コレクターたちの執念や、個人美術館開館へ向けた創設者のなみなみならぬ情熱が密やかに伝わってくるからだろうか。例えば、セザンヌを日本に紹介したのは白樺派の人たちだが、彼らがセザンヌというものを見たであろう最初の作品がいまこの美術館にある「帽子をかぶった自画像」だし、ルノワールの「すわる水浴の女」は、実業家岸本吉左衛門がパリの画廊に日参してついに手に入れたもの、モネの「黄昏・ヴェネツィア」にしても、モネ邸に通いつめたコレクター黒木三次がようやくの思いで入手に成功した作品だと、私はこんど初めて学芸課長宮崎克己氏から教わった。そんな目に見えないドラマが幾層にも重なって、こんな濃密な空間をかたちづくっているのだろうか。 「美術館としては小さなものかもしれないが、印象派のコレクションとしては世界で十指に数えられるのではないか」と同じインタビューの中で石橋氏は語っているが、「国家とか都市とかの威信を誇示するような大美術館には、印象派以降の絵は本来あわない。現代美術の大作は別として、美術そのものがプライベートな空間を目指し始めたのですから。1830年から1960年にかけて、ここ百年あまりはそういう時代だった。その時代と、日本の洋画収集の時代が重なった」と宮崎氏は語って、個人美術館というものの歴史的必然を私に教えてくれた。
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