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「女優マルキーズ」 大竹 洋子
これが劇映画3作目のフランスの女性監督、ヴェラ・ベルモンの「女優マルキーズ」は、早いテンポで一座の俳優たちと群衆をまきこみ、圧倒的な重量感でたたみこむように快調にスタートする。 フランス人はモリエールが好きだ。これは偶然なのだが、パリで私が泊まるのはモリエール通りのホテル・モリエール、ホテルの隣りのフランス料理店は、レストラン・ド・ポクラン(モリエールの本名、ジャン=バチスト・ポクランによる)、そしてすぐそばのパレ・ロワイヤルはコメディー・フランセーズの本拠地で、付属のグッズ店にはモリエールに関する商品がずらりと並んでいる。喜劇の第一人者としてフランス大衆の心をつかんだ彼の作品は、今でも世界中で上演されているし、1673年に代表作の一つ、「病は気から」の公演中に死亡したのも、いかにも彼らしい。 1983年に岩波ホールで上映された映画「モリエール」は、太陽劇団の主宰者で演出家の女性監督、アリアーヌ・ムヌーシュキンの作品だった。モリエールの興亡を綴ったこの映画の、マルキーズの出番はそんなに多くはなかったように思うが、バイタリティーにあふれ、たぎるような情熱に彩られた大作という点で、「女優マルキーズ」と「モリエール」はよく似ている。 マルキーズは、彼女を女優として認めず、ダンサーとしてしか起用しないモリエールに役をもらおうと、彼と関係する。結局役はもらえず、またもや場つなぎのダンサーとして登場したが、ルイ14世に大いに気に入られ、同席していた青年作家ラシーヌも彼女の虜になった。そのような男たちとマルキーズの経緯を、夫のルネは黙ってみている。ルネはマルキーズを深く愛し、その才能を信じていた。しかし無理がたたって舞台の上で急死する。そして夫の死後、マルキーズはラシーヌの戯曲「アンドロマック」で大成功を収める――。 映画はマルキーズの死までを描くが、地方の野生的な踊り子から、パリで大輪の花のように成長してゆくマルキーズ役のソフィー・マルソーが、外見は変化しても、内面はひたむきで自分に正直に生きるヒロインを魅力的に演じる。「ラ・ブーム」(80)で少女の頃からスターになったが、これといって印象に残る役に恵まれなかったマルソーの、間違いなく代表作だと思う。 モリエールのベルナール・ジロドー、ラシーヌのランベール・ウィルソン、ルイ14世のティエリー・レルミット、当時の名優フロリドール役で、ランベールの実の父ジョルジュ・ウィルソンも出演するなど、フランス演劇、映画界の名優たちの勢揃いである。とりわけ素晴らしいのはグロ・ルネのパトリック・ティムシット。「女と男の危機」や「ペダル・ドゥース」でコメディアンぶりを発揮したが、ここではモリエールに影響を与え、コキュとなりながら、妻を見守る夫の役を毅然と演じている。 宮廷とそれをとりまく人々の腐敗はすさまじく、ヴェルサイユ宮殿でのルイ14世の破天荒な行動も赤裸々に描かれる。しかしベルモン監督が、この歴史上の人物たちの実像を暴き出し告発しょうとした、というふうには思わない。当たり前の事実、男とは、男たちがつくった歴史とはこのようなものなのだと切り捨てる小気味よさが心地よい。そしてそういう中で、利用できるものは利用したが、自分を偽ることなく、天性の才能を心のおもむくままに開花させていった一人の女性の人生を、共感をこめて描き出すのである。 病の床についたマルキーズを看病したのは、喜劇の王さまモリエールだった。そして、役を失い毒をあおって、観衆の前で死んだマルキーズの亡骸をだきかかえ、客席の中央を通ってゆくのは悲劇の大詩人ラシーヌである。このラストシーンは、共にいい加減な男として描かれた彼らに花をもたせた演出で、ベルモン監督の女性の視線はやさしいとも皮肉ともとれるが、いずれにせよ見応えのある一作であった。 渋谷Bunkamura ル・シネマ(03-3477-9264)で上映中このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。 |