2004年(平成16年)1月10日号

No.239

銀座一丁目新聞

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茶説

軍隊を否定する愚を思う

牧念人 悠々

 自衛隊が創設されてから今年で50年になる。そろそろ自衛隊を一人前の軍隊と認めたらどうか。憲法の制約から「自衛隊」と呼んでいるに過ぎない。諸外国は自衛隊を軍隊と見ている。憲法9条で戦争放棄をうたったが、自衛権は否定しないとして自衛隊が生まれた。その任務は「わが国の平和と独立を守り国の安全を保つため直接侵略及び間接侵略に対してわが国を防衛する」にある。その誕生は1950年6月に起きた朝鮮戦争がきっかけであった。韓国に投入された在日米軍の穴埋めとして警察予備隊の創設を求められたからである。朝鮮戦争はスターリンと金日成の密約のもとに始まった。日本が戦争放棄してから5年後の出来事である。憲法のいう「平和を愛する諸国民の公正と信義」は必ずしも信頼できないことを示した。この事実は忘れてはなるまい。
 日本は他国の侵略を考えていない。だから海外派兵はありえない。自衛隊を海外に派遣する場合には特別立法を必要とする。それがPKO法であったりイラク特措法であったりする。この「平和主義」の考えは憲法が改正されてもぜひ生かすべきである。
 2001年9・11以来テロの脅威は日本にも及んでいる。北朝鮮の例をあげるまでなく核拡散の恐れも十分ある。敵が攻めてきたら、逃げるのではなく、自分の国は自分で守らなければならない。日本を攻めてくる国などないなどとノー天気なことをいうものもいないではないが、ならず者国家は存在する。また、非核三原則(核兵器を待たず、作らず、持ち込ませず)を持つことを運命付けられている日本はアメリカの核の傘の中に入らざるえない。1952年の独立と同時にアメリカと安保条約を締結をして今日にいたっている。しかも現在、自由諸国とテログループとの戦いの最中である。アメリカの9・11の教訓は「脅威には早目に対処せよ」であった。生物化学兵器をクルド族に使用した前歴を持つイラクが間もなく核を保有する可能性が十分あった。アメリカにはイラク戦争の大義はそれで十分であった。
 今年は日露戦争勃発100年である。この戦争の教訓は日本には徹底的に長期戦に耐える国力がないということである。予防戦争的自衛戦争であったが「文明の戦い」「道義の戦い」(ロシアのアジアへの進出の野望を阻止する)として各国が日本に同情してくれた。とりわけ日露講和ではルーズベルト大統領の仲介で実現した。その大統領にしても「棍棒外交政策」は有名であり、日露戦争の6年前の米西戦争でフィリピンを属領としている。「平和、戦争反対、現状維持、民主主義などを強調する米国の立場には多分にご都合主義的理想主義がただよう」と 児島襄はその著「日露戦争」で指摘している。今のアメリカとそう違いはない。戦後は助けたり助けられたりした同盟国である。しかも9・11以来、国際協調は人的支援を強く求められるようになってきた。「ご都合主義的理想主義」とわかっていても友人が困っているときに助けに行かなくては友情にひびが入る。生命に危険があるからっといってしり込みするのは人間として屑である。日本はアメリカの言いなりになっているという批判はさせておけばよい。
すでに自衛隊は軍隊である。有事に備えて24時間、各駐屯地の自衛隊は「運用担当」を置いている。万一のときはいつでも出動できる。阪神大地震の際(995年1月17日)伊丹に駐屯する36普通科連隊は近傍災害派遣として伊丹市や西宮市で人命救助に当たり、17日中に17人を人命救助し30人の遺体を収容した。当時喧伝された自衛隊の出足が遅かったというのは誤りであった。1995年3月20日の地下鉄サリン事件の際、地下鉄のサリン消毒のため自衛隊の科学班が出動した。最後サリンを完全に除毒を確認にするため、班長は防毒手袋を脱いで素手で車両の床をなでたという。黙黙と自分たちの使命を責任を持って果たす人達に「しかるべき名誉と地位をあたえる」ことは当然である。その呼称については、あくまでも他国を侵略しないという意味で自衛隊としてもよいであろう。

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