2004年(平成16年)1月10日号

No.239

銀座一丁目新聞

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安全地帯(66)

−信濃 太郎−

             日露戦争100年に思う

 今年が日露戦争が起きて100年というので、産経新聞が元駐タイ大使、岡崎久彦さんと歴史研究家、半藤一利さんの対談を掲載した(1月3日)。なかなか読み応えのある記事であった。イアン・ニッシュ(英国の歴史研究家)が日露戦争を「若い日本のイニシエーション(成人式)だ」といったと紹介されている。なるほど上手い表現である。近代におけるアジア人とヨーロッパ人の最初の戦いであり、日本人としてもはじめての白人種との戦争であった(児島襄著「日露戦争5巻より)。成人になるには日本は苦労した。なみたいてなものではなかった。戦争はロシアが北清事変(義和団事件1900年)の後満州を占領してなかなか退かないので、予防的自衛的に日本がはじめたものだが、兵力的にいえば日本が12個師団に対してロシアは70個師団で問題にならなかった。死傷者の数も日本の方が多い。遼陽会戦で日本2万3714人ロシア1万6500人、奉天会戦日本7万61人ロシア6万3649人である。それでも勝利の形で戦争を終われせることが出来た。
 日英同盟があり、米大統領T・ルーズベルトの支援などがあったからである。「アングロ・アメリカン世界と一緒に行くとということを決断した明治の人の判断は正しかった(岡崎)。第一大戦でも米英側にたって戦った。それなのに「世界史に対してや世界の流れに対しても、太平洋戦争ではダメで国際状況を考えていなかった」(半藤)。
 対談の中で示された岡義武さん(東大教授)の論文は興味深い。日露戦争後の日本人は1、出世主義が出て学歴偏重主義となった。2、成金主義というのが非常に強く出てきた。3、日本人全体が享楽主義になって緊張感を失った。これに属さない人達は虚無主義に陥ったという。
 これに関連して「日露戦争を勝った連中は江戸時代の教育の連中で、大東亜戦争に負けた連中は明治の教育の連中である」という指摘は面白い。児島襄も同じような事を言っている。明治時代の各界の指導者は江戸時代生まれの武士出身である。文武両道で視野も広かった。学校教育を受けなくても儒教的な家庭教育が行き渡り廉恥を重んじ、自分以外のもののためにたまに尽くす覚悟を教え込まれていた。明治になって文と武は二つに分かれた。文事に疎い軍人宰相、軍事を知らない文人宰相が生まれ、動乱の世界への対処が不十分であったという。日露戦争は教育にも大きな教訓を残しているといえる。

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