花ある風景(153)
並木 徹
初詣は賑やかであった
二日の朝、府中市に住む筆者は宮町にある大国魂神社へ初詣した。たくさんのことをお願いした。家内安全、商売繁盛、友人知人の幸福など・・・社殿から入り口までざっと300メートル、参拝客は行列をなし後を絶たなかった。参道の両側をテントでこしらえた縁日の店が軒を並べて着飾ったお客を呼び込むのにいそがしそうであった。しばらくの間この雰囲気を楽しんだ。
籤を引いた。末吉・15番と出た。おみくじには「言葉の怒りを守れ」「言葉を制御せよ」「言葉の悪行をすてて言葉の如行(善行)をおさめよ」とあった。文筆を業とする私に相応しい戒めである。
この神社の主神は武蔵大国魂神である。このほかに武蔵の国の著名な6神社(小野、小河、氷川、秩父、杉山、金佐奈)を合祀している。創立は影行天皇41年5月5日(111年)である。くらやみ祭りは奇祭として有名である。
初詣は所の氏神(産土神・鎮守の森)にもうでるというのが古い形である。今では著名な社寺へ詣でる風が盛んであると「日本民族事典」にある。
同期生12名をはじめ先輩が祭られている靖国神社には8日に昇殿参拝した。靖国神社には機会あるごとに参拝している。新聞は小泉首相の参拝を唐突と表現するが、国の礎となった人たちを祭る靖国神社に小泉さんがいつお参りしようが個人の自由ではないか。靖国神社にお参りにゆくその気持ちが嬉しい。初詣は私にはごく当然のこととうつる。そこに軍国主義を助長するとか、侵略戦争を謳歌するといった事は微塵も感じられない。文句があるなら、中国、韓国に言わせて置けばよい。むしろその言いがかりは戦死者への冒涜であると私は思う。何も新聞までが中国、韓国に足並み揃えて批判する理由が良くわからない。すでに戦死者をともらう靖国神社があるのに「国立の無宗教施設」の建設にしても屋上に屋を重ねるもので国費の無駄使いである。「非建設的な騒動」を巻き起こしているのは新聞自身である。 |