1998年(平成10年)4月1日(旬刊)

No.35

銀座一丁目新聞

 

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ゴン太の日記帳 (1)

目黒 ゴン太

 

 駅のホームに、親子がいた。父親が、息子に、電車が来るまで指相撲をしようと言い、彼らは、それを始めた。息子は、とても楽しそうであった。私にはその光景が、懐かしく思えた。自分が同じ様に父に遊んでもらっていた頃を思い出させたからだ。

 その頃の私は、二十歳などと言えば「大人」であると思い込んでいたし、二十歳の私の姿など想像もできなかったが、今、現在、私は正にその二十歳になっている。では、今の私は、あの頃考えていた「大人」になれているのだろうか。

 答えは、私にはわからない。なぜなら、基準がないからである。確かに、社会の中で負わなければならない責任も、二十歳を境に、大変大きくなるし、ようするに、世間では一人歩きを始めるスタート地点の様にしているのだろう。しかし、実際に、一人歩きできる様になる人は少ない。しかも、ここで指す一人歩きとは、単に経済的な意味での自立でしかない。それも、とても重要なポイントであることは間違いないのであろうが、もうひとつのポイントは、精神的な自立であろう。かなり、抽象的な言い方であるが、自分の頭で考え、分別のある行動、言動ができるようになることと言えると思う。しかし、これに関しては、40〜50代になっても、まるで、できない人が多い。生意気に聞こえるかもしれないが、事実である。

 私達が普段使っている「大人」のもつ意味は、一人前の人を指す。しかし、ほとんどの人は、一人前になるなど、一生かかるぐらい難しいことに思う。ということは、単に大人の皮をかぶった子供がいるだけに思えるのだ。そして、私が小さい頃に抱いていた「大人」には、私はいつなれるのか、まだまだ分からないが、いつか自ら名乗れるように、頑張らねばならない。

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