1998年(平成10年)4月1日(旬刊)

No.35

銀座一丁目新聞

 

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小さな個人美術館の旅(31)

夢二郷土美術館

星 瑠璃子(エッセイスト)

 ここに来たのは何年ぶりになるだろう。夢二の生誕百年を記念して美術館がオープンしたのが1984年の3月。編集者時代の私が、初めての夢二全集『夢二美術館』を出版したのがその翌年だから、数えてみれば、もう十四、五年の歳月が経つ。

 いまはお彼岸も過ぎた三月の終わり。美術館前の旭川はあいかわらずゆったりと流れ、対岸の後楽園の庭園はうっすらと春霞の中にかすんで、なにもかもがあのオープニングの日と同じように見える。柔らかな春の風が、美術館の緑色の屋根の上の風見鶏をくるくると回しているのも。

 中へ入ると、エントランス・ホールの左側に写真や書簡など夢二に関する資料を揃えた第一展示室。正面にかの有名な「セノオ楽譜」などが並べられた第二展示室。その向こうの部屋のつき当たりに、「立田姫」が見える。スカーレットの着物姿で思い切り首をねじまげてこちらを向き、目を閉じた、あの美しい白い顔。

 そこはメインともいうべき第三展示室で、広い部屋の暗めの照明の下に、肉筆大作の数々がゆったりと展示されている。額装の洋画と違って、こういった日本画の作品は保存にどれほど気をつかうかしれないのに、対の大きな屏風「一力」「こたつ」、「旅の唄」「邪宗渡来」や「秋のいこい」「加茂川」「星まつり」……といった、いずれも円熟期の作品ばかりが惜しげもなく並んでいる。夢二の美術館は、竹久夢二というキャラクターの変わらぬ人気にあやかって、東京や群馬県の伊香保にもあるが、どこでもこんなわけにはいかない。

 岡山県にはこの郷土美術館本館のほかにも画家自身の設計によるアトリエを復元した少年山荘や夢二生家、リョービガーデンが同じ両備バスの松田基社長(現会長)のコレクションをもとに開かれていて、いずれも一見に値いするが、やっぱりきわめつけといえばここだ。

 
夢二郷土美術館 本館
 
夢二生家

 ここに来れば、日本の美術史からハミだしてしまった夢二という希有の才能がどんなものだったかを、いやでも納得せずにはいられない。

 竹久夢二は1884年の岡山生まれだ。十六歳のとき家出して上京。早稲田実業に入るが、苦学しながらの専攻科在学中に「中学世界」への「コマ絵」の投稿作品が一等に入選、中退して画家を志した。「投書画家」としてのスタートだったが、間もなく新聞や雑誌に次々と活躍の場が広がり、新進画家として認められるようになる。二十五歳の時「夢二画集 春の巻」を処女出版、その後次々と、なんと52冊もの「画集」を刊行して若い世代を魅了し、爆発的な人気を博するようになった。その人気の秘密は、絵の他に詩や小説も書き、装丁などの分野ではグラフィック・デザイナーとしての腕をふるうなどのマルチ・タレントぶりにあった。絵も詩も、決して「うまい絵」「うまい詩」ではなかったが、どんな言葉の一片にも、どんな小さな絵にも土俗性とモダニスムの混じりあった夢二独特の抒情があって、見る人を魅きつけて放さないのだった。そんなことの全てが、ここに来るとよく分かる。できることなら詩などもあしらってみたらどうだろう、などと勝手な注文をつけたくなるのも、この美術館があまりに見事だからだろうか。

 東京に帰って、書棚の奥から『夢二美術館』を取り出してみた。様々な分野での仕事をジャンル別に集大成した全五巻だ。画家安野光雅氏の装丁になる美しい本は、詩人谷川俊太郎氏が夢二の全詩作品から選んだ詩の一節を画集のそこここにちりばめ、巻末には先年亡くなった美術評論家の河北倫明氏をはじめとして、この4月から大原美術館の館長となって同じ瀬戸内の町、倉敷に着任する小倉忠夫氏、東京の国立西洋美術館館長高階秀爾氏らがそれぞれ秀逸な文章を載せている。いずれも監修者の面々だが、この本を完成させるのに、私は足かけ七年をかけた。次に掲げるのは、その第一巻に載った河北氏の文章「未成の夢二を憶う」の冒頭の一節である。

 
少年山荘
 
リョービガーデン分館

 竹久夢二の二十六歳の時の文章に次のようなのがある。
 「自然の一角をおさない謙遜な態度で描くのが未成品であるならば、欺かざる感傷を学ばざる囚われざるアートで発表するのを未成品というならば、私は、いつまでも未成品でありたい。」

 これは明治43年6月の「中学世界」に寄せられた「私の投書家時代」の一節であるが、この中に夢二の仕事の風趣があざやかに示唆されているように思われる。

 夢二の仕事はどんな形を打ち出す場合でも、どこまでも自然で、謙遜で、嘘がなく、微塵も囚われがなかった。彼のアフオリズムの一つ、
 「何をしたか」と聞かれても
 答えることは出来ないが、
 「何をしなかったの」と聞くなら
 自分はすぐに答へやう
 「多くの人のする善事
  多くの人のする悪事」
 も同じように、純な未成品であろうとし、また実際そうありつづけた夢二の貴重な情懐が籠もっている。

 1934年、五十歳、信州の富士見高原のサナトリウムで没した。第三展示室から第四展示室への境の壁面に掛けられた「さよならアメリカ」は、死の二年前、パナマ運河航行中の船の上で、ビール箱の板に描いた油絵。黒い毛布に身を包んだ若い外国の女の半身像だ。実物は失われ、写真による展示なのだが、それでもなお見果てぬ夢二の夢が凝縮しているようで、私はこの絵が好きだ。『夢二美術館』では、谷川俊太郎氏は次のような夢二の詩の一節をつけている。
 あのひとはどうしたと
 ひとにきかれたら
 死んでしまったと
 笑ってゐませう。

住 所: 岡山市浜2−1−32  TEL: 086-271-1000
交 通: JR岡山駅より後楽園方面行きバスで蓬莱橋・夢二郷土美術館前下車
休館日: 4〜11月は無休 12〜3月は月曜日

星瑠璃子(ほし・るりこ)

東京生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業後,河出書房を経て,学習研究社入社。文芸誌「フェミナ」編集長など文学、美術分野で活躍。93年独立してワークショップR&Rを主宰し執筆活動を始める。著書に『桜楓の百人』など。

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