競馬徒然草(2)
−府中散策−
府中にはケヤキが多い。徳川家康が江戸へきたとき、街道に植えさせたという。特に大国魂神社の参道のケヤキは有名だ。あれほど見事なものは、他にないだろう。樹齢何百年になるのだろうか。「巨木は生きる力を与えてくれる」と、語ってくれた人もいた。老人が杖を突き、遠くから見にきてもいた。府中の周辺には、古いものが多い。あちこちで遺跡も発掘される。競馬場の北側で発掘されたこともある。現在、競馬場では改修工事が行なわれているが、パドックの横でも発掘されたと聞いた。工事の完成が手間取ったのは、それも理由の1つらしい。改修工事は大々的なものだ。旧スタンドの改築だけではない。馬場やパドックの改修もある。土を掘り返し、造り直している。新スタンドの建設だけは一足早く完成したが、全体の工事が完成するには、まだ時間がかりそうだ。
府中の競馬場、正式には「東京競馬場」というのだが、なぜ、このような大改修工事が行なわれているのか、ご存じだろうか。歴史を調べてみて気が付いたのだが、今年は「東京競馬場開設70周年」に当たるのである。東京競馬場が現在地(東京都府中市是政)に開設されたのは、70年前の昭和8年(1933)。それまで競馬場は目黒にあった。いわゆる目黒競馬場で、山手線目黒駅に近く、交通の便もよい場所にあった。だが、周辺の土地事情で拡張が困難になったため、移転計画が持ち上がり、他に用地が求められるに至った。多くの候補の中から府中の現在地が最適とされ、東京競馬場の誕生となった。竣工式が挙行されたのは11月8日である。つまり、今年の11月8日が開設70周年の記念日になる。それまでには、日本で最も広く美しい競馬場だといわれてきた東京競馬場が、再び蘇えるだろう。
7 0年という歳月は長い。人間でいえば、「古希」を迎えたことになる。「人生七十、古来稀なり」とは杜甫の詩の一句で、「古希」の由来もこれからきている。そんなことを思い浮べる人もいるだろう。70年前といえば、日本が国際連盟(現在は国連)を脱退した年である。日本は国際的に孤立化へ向かいつつあった。それから戦争の時代に突入し、競馬のレースが「能力検定競走」として施行された時期もある。競馬の目的も軍馬育成のためとされた。競馬が中止され、食糧不足を補うために、競馬場で野菜が作られたこともある。
戦争の時代をくぐり抜け、戦後の復興から今日の繁栄に至る歴史がある。競馬も文化であるとするなら、東京競馬場の歴史もまた、ひとつの文化史といえるだろう。府中を歩きながら、そんなことを想った。 (戸明 英一) |