2003年(平成15年)1月10日号

No.203

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花ある風景(117)

 並木 徹

 演劇集団「円」の芝居はよく見る。そのつど、岸田今日子さんと会うが、挨拶程度で済ませてしまう。何気なく吉村公三郎の「あの人この人」(協同企画出版部・昭和42年3月発行)を読んでいたら、詩人、三好達治が「自由学校」の撮影をしているセットへ中学生の長男達夫君と、まだ少女の頃の岸田今日子さんを連れてこられたという文章に出会った。なんと今日子さんが三好達治と交流があるのをはじめて知った。考えてみれば、今日子さんの父岸田国士は東大仏文で三好とは先輩後輩の仲である。またともに陸士に学び、岸田は陸士24期で、少尉のとき病気で軍を退いた。三好は陸士33期で士官候補生で退学してる。年こそ10歳違うが二人は似たような道を歩んでいる。
吉村公三郎は昭和14年、監督第一作として劇作家、岸田国士の新聞連載「暖流」を映画化している(松竹大船)。だから三好が今日子さんを連れて、子供の頃からの知りあいの吉村監督を訪れても何ら不思議ではない。映画「自由学校」(原作獅子文六・大映東京制作)が公開されたのが昭和26年だから、今日子さんが20歳の頃で、初舞台を踏む前の話である。なるほどこの人が俳句が上手であるのがわかった。眠女という俳号をもつ。

  火の気なき炬燵の上の置手紙

すごい句だと思う。さまざまに想像できるのが素晴らしい。江国 滋さんは「微苦笑俳句コレクション」のなかで「な、なんなんだ、これは・・・・『私はもうこれ以上ガマンできません。ながながお世話になりました』二度も三度も読み返しながら茫然としているご亭主の顔が浮かぶ。(略)」と解釈する。素直な見方かもしれない。
私はこう解釈する。共稼ぎの夫婦の妻が夫への置手紙である。『言い忘れましたが、今日少し帰りが遅くなります。ごめんなさい。帰ったら私を温めてください。きっとよ』「火の気なき」に対して「置手紙」に熱き思いを託すのである。その手紙を読んで妻の帰りが遅くてもイライラせずに夫は熱い気持を抱きながら待てるのである。夫婦間の愛情をどう捉えるかで解釈が違ってくる。
友人からこんな話を聞いた。朝女房と喧嘩して不機嫌であったが、、昼、弁当箱をあけたら、おかずで「バカ」と書いてあった。たちまち顔がほころんだという。要は置手紙の内容であると思うのだが・・・

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