ある教師の独り言(9)
-この一年−
−水野 ひかり−
職場を変えるのは今回で四度目である。職場が変われば、今までのやり方と大幅に違いがでて、やりづらいこともあるが反面、新しいやり方も発見してそれが何とも嬉しくもある。今回は色々の事情から他市に移ったので、未知なることへの思いがより大きく感じていた。
職場は40代の半ばをすぎた女性が多くゆったりとした雰囲気があったが、気になったのが数少ない男性教師が各学年ほとんどの主任を担当していることだった。年功序列でもない。別に実力主義を進めるならば、年功序列出なくてもかまわないが、いつも周りの教師達に助言されながら仕事を進めていく彼らの多くの姿を見て首をかしげてしまう。私の学年(6年)も男性の3人の担任のなかで一番若い人だった。この人は結構やり手であるが、子どもに必要以上に厳しいのが気になった。ともあれ1学期がスタートし一番楽しい子ども達と出合った。
この市の子ども達とは今まで修学旅行や研究会等でも6年生を中心に交流する機会が何度かあったが、余りよい印象を持てないことが多かった。見学場所では大声を出す。走り回る。必要もないところでカメラをパシパシ撮る。研究授業でも私語が目立つ。意見がないまま続いたりする授業をうんざりしながらみたことが何回もある。「もう6年生くらいでタバコを吸ってる子も入る」なんて情報も流れてきて「なんとやりがいがのある・・・」とこの市に決まったとき呟いた。
私の赴任した学校は駅のそばの繁華街を越えたところにあり、どのような子ども達かは容易に想像できる気がした。
少し構えて気持ちを引き締めての学級開き。教室の戸を開けると子ども達も緊張した顔で揃って私を見た。
「おはようございます」
私が挨拶すると子ども達もつられたように挨拶した。パラパラとして声は小さい。「さすがに6年生だね。私が来るまで着席して私を迎えてくれて・・・姿勢もとても良いですね。・・・しかし声が小さいなあ。私は元気なクラスが大好きななんだけど、どうやら三クラスの中で一番おとなしい人の多いクラスを受け持ったようですね」と私が言うと
「そんなことはない。5年のとき一番うるさいクラスだっていわれてきた」と前に座っていた男の子が言った。この子はこのクラスで一番関わった子どもである。ことあるごとに私に言ってきて、思いが通らないと不平不満を述べふてくされたり嫌みを言ったりした。クラスの子ども達にもそいう態度をとるが、人一倍興味を持って何にでも取り組み愛嬌もあるので孤立することはなかった。
ともあれ反応があったので、嬉しくなった私は「そうなんだ。うるさいっていうのがちょっと引っかるけど、大きな声はだせるんだとうけ取って良いかな。私は受け持ったクラスの人たちにはいろいろ要求するんだけ、先ずは1学期前半は皆が大きな声で発表してもらいたいと思ってます。大きな声で自分の思いを語れるって大事なことなんだよ。ちゃんと聞く耳を持って欲しい」
と語った。そしてこの一年で色々な方法で自分を表現できるようにしたいと考えている。朗々と歌い上げたり、朗読したり、ぐんっと力強くまたリズミカルに器械体操をする。等々自分のよさを多方面にわたって掘り下げてほしいと願う〜である。何かをやり遂げた後の充実感を味わって欲しいとも思っている。
最後の自分の好きな本の中から斉藤隆介の「花咲き山」を朗読した。驚いたことに私の朗読の後大きな拍手がわき起こった。
「先生うまいねぇ。でもまけないぞ。うまくやってやるぅ!」
「できないかもしれないけれど、がんばってみます」
声は小さいけれど呟きが聞こえてきた。子ども達の反応がすごく良い。目がキラキラしているのだ。
毎年4月私は前の学年の良さを引きずっているところがあってー編成替えをしたばかり、新しい学年になったばかりーなのだからうまくいかなくて当たり前なのに。何となく前のクラスでできたことができないと不満に思ってしまう。いやらしい性格だなと思っていた自分のことを思いだし、今年はそういう不満は感じないかもしれないと思った。
うわさはあくまでうわさなのだ。私がめにしてきたこの市の子ども達も見方を変えれば良いものが沢山見出せるに違いない。私は帰りの電車の中でその言葉を繰り返していた。 |