2002年(平成14年)12月20日号

No.201

銀座一丁目新聞

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花ある風景(115)

 並木 徹

新聞は社会の教科書である


 千葉県八千代市の中学校で3年生の社会科の期末試験に「収賄容疑で逮捕された八千代市の市長のフルネームを答えよ」という問題が出された。新聞を読まなければ答えることができない。いい問題である。わたし達は自分の住む町に関心を持たねばならない。人口はどれぐらいか。神社の祭神はどなたか。町の歴史は? 地域住民としては当然知っておかなければいけない事である。身の廻りの事柄を知らないで社会や国のことを論ずることは出来ない。
 社会科担当の教諭は出題の狙いを「時事問題として市民の一員として市で起こっていることを知っているかを問うため」と説明している。この当たり前の出題について、言いがかりをつける父兄がいる。試験後、女子生徒の母親から「子どもは市長のことを知っており、ショックを受けた。配慮して欲しい」と電話があった。何の配慮もいらない。この母親には出題の趣旨を説明すればよい。あえて付け加えれば、「公職にある者はお金を受け取って行政を曲げてはいけない。ともかく人間はお金にはきれいにすべきものです」と子どもに教訓を垂れるようにいって欲しかった。何もショックを受けるようなことでもあるまい。
 八千代市の教育委員会の態度が無責任きわまる。「事件の全貌も解明されていない時期の出題で不適切だった」と話しているという。問題は市長の名前を問うているだけで、「事件について述べよ」といっているわけではない。父兄から抗議が出ると、直ぐ「ご意見は最もです」と頭を下げる。謝れば、事が穏便に済むと思っている節がある。これを事なかれ主義という。
この風潮はここだけでなく全国的なものである。現場の教師を何 故、校長も教育委員会も守らないのか。教師の主張が正しければ、最後まで守るべきである。
 それが生きた教育というものである。子ども達は大人たちの醜い姿をちゃんと見ている。

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