2002年(平成14年)10月1日号

No.193

銀座一丁目新聞

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横浜便り(35)

分須 朗子

−「Your Story」 5−

 小さな石庭が、茶屋を囲んでいた。ガラス窓の向こうの竹塀の、そのまた向こうに、赤門が威風として立っていた。参道の銀杏が、紅葉前の幼い葉を揺らしている。
 茶屋の片隅のテーブルで、中庭を眺めていた少女が、ため息を揺ら揺らとついた。そのあと少女は、テーブル越しに座っているカイコに、惑った瞳を向けると、たずねた。それで、その女の人はマジックの人に出会えたのかな?
 「どう思う?」カイコは微笑んだ。
 少女は考えた。一目惚れでマジックが始まったんでしょう、マジックがゴーストを連れてくるんでしょう、月の音楽の人がきっと彼なんでしょう・・・? 少女は分からないといった風をして、すぐに会いに行けばよかったのにと、不服そうにした。
 「じゃあ、あなたも、今すぐ彼氏に会いに行ったらどう」カイコの言葉に、会いに行けないから相談してるのにと、少女はカイコを責めた。
 少女は、また考えた。そしてカイコにたずねた。その女の人はどうしてマジックなんか大切にしたのかな、現実の生活では意味ないのに・・・。
 「きっと、意味があるから大切にしたのよ」カイコは答えた。
 
 テーブルに運ばれてきたのは、茶屋名物のしゃこ丼だった。ダシの甘辛い匂いが漂った。玉子でとじた野菜の合間からは、何匹もの大ぶりのしゃこの身や尾がはみ出していた。この店は、近くの漁港で獲れたばかりのしゃこを料理する。カイコには、潮の香りが器に残っているような気がしてならない。
 少女は一口頬張って、嬉しそうに笑った。しゃこが地元の名産だなんて知らなかった、と言って喜んだ。だが、それもつかの間、少女は静かに箸を置くと、心許ない表情で携帯電話を見つめた。

 カイコが、手を伸ばして少女の携帯電話を握りしめる。
 「私が叔母として電話するわ。今、彼氏に電話するから、話し合いなさい」
 少女は、やめてやめてと叫んで、携帯電話を奪い取った。私たちには私たちの事情があるのと、少女は大人びた口ぶりで返した。
 少女を助ける良い方法はないだろうかと、カイコは考えた。「そんな二人にこそ、マジカルな思い出が奏功するのよ」
 少女は憮然としたまま、そんなの信じられない、と言い放った。
 「信じる者は救われる・・・、陳腐だけれど良い響きだわね」カイコが少女を言い含める。だが、彼氏のことだってもう信じられないのにと、少女の目の奥に悲しみが浮かんだ。
 「そんな時、二人のマジックを思い出して笑うのよ、涙を流す代わりにね。現実の苦悩が宇宙の末梢のことのように思えてくるの。・・・と、さっきの話の女性は言っていたわ」
 マジカルな思い出なんてないもんと、少女はカイコを睨んだ。
 「これから作ればいいじゃない」真顔のカイコに、少女は、わずかに笑みを浮かべる。
 「でもね、彼女はこうも言っていたわ。信じられない凶事が三度起こると、マジックはぜんぶ消えてなくなるんだって」カイコがいたずらっぽく笑うと、仏教の格言みたいと、少女は仏頂面を見せた。そして、カイコにたずねた。その二人のマジックは消えてしまったのかな?
 「もしも、マジックが永く続いていれば、そのうち、凶事も回数も忘れてしまったかもしれないわね」
 少女は、マジックのポイントカードでも作ったらいいと、カイコをからかった。それから、その女の人はカイコちゃんのことでしょうと、言った。
 カイコは、ただ微笑んでいた。
 少女は、でもカイコちゃんの彼は魔法を使いそうにない、と首をひねった。

 茶屋を出ると、午前中には薄曇りだった空が水色に輝いていた。
 カイコちゃんの彼がもうすぐ来る頃だと、少女は言った。
 参道の先に、境内がちらとのぞく。背後にある小さな森のふもとには博物館が佇む。ふみくらと呼ばれた鎌倉時代の書庫だと、少女は説明した。学校の授業で習ったばかりらしい。少女は、カイコちゃんたちはどうしてこんな地味な所で待ち合わせるのかと、不思議がった。
 やにわに、少女が足早になり、仁王門の前で感嘆の声を上げる。・・・カイコちゃん、モミジがきれいー。
 境内では、木々が紅葉し始めていたのだ。紅や黄金色の葉を重ねた枝々が、大きな丸池の水面に姿を映す。少女は、両方の手のひらを天にかかげて叫んだ。京都みたいな庭園がありますなんて授業で教わってないよー。
 カイコは秋の空を見上げて、動く雲を追った。早く彼に会いたい気がした。始めに、紅葉を見たいと言ったのはカイコだった。良い所がすぐそばにあるよ、遠くまで行かなくても大丈夫だよ、と教えてくれたのは彼だった。
 太鼓型を模した赤橋が、日差しを浴びて朱色に光る。少女は橋を駆け上がると、気持ちよさそうに深呼吸をした。そして、彼氏に電話してみようかな、と言った。不平を鳴らしてるのがばかばかしくなってきたと、少女は笑顔を取り戻していた。
 「笑ってるもん勝っちー!」カイコが口ずさむと、少女は調子を合わせて、にらめっこなんてよしまっしょーと、陽気にはしゃいだ。それから少女は、あ、そうかと閃いて、声を上げた。・・・カイコちゃん、魔法ってこういう感じー?
 (おわり)



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