2002年(平成14年)7月10日号

No.185

銀座一丁目新聞

ホーム
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
映画批評
GINZA点描
横浜便り
水戸育児便り
お耳を拝借
銀座俳句道場
告知板
バックナンバー

横浜便り(32)

分須 朗子

−「Your Story」 2−

 中華街の通りに舞い込んでくる海風は、夏の匂いがした。雨上がりの湿った空気に、山下港からの潮っぽさがよけいに際立つ。
 二十人も入れば満席の中華料理店は、平日の夕刻にもう一杯だった。家族経営だろう、お祖母さんに娘、孫がくるくると動き回っている。扉を開け放した店内を風が過ぎていく。客たちの頭上を行き交う中華皿の熱気と海風が混ざり合う。
 カイコの気に入りは、豚ばら肉を煮込んだ一皿だ。皿といっても、丼型の器に、料理が飾り気なくどっさり盛られている。
 いわゆる角煮に近いわね、でも味がさっぱりしていて広東らしい、きっと海鮮ソースが隠し味だわねと、カイコの向かいに座っているサナギがせわしそうに、意見と料理を口にしている。
 カイコのもう一つの気に入りは、器の絵柄がどれも美しいことだ。料理のほとんどが気さくな具合で、深鉢に乗っていた。
 「あ、この前と同じ絵だわ」器の中底がのぞくと、カイコは喜んだ。サナギが、吉兆かもしれないと、占い師らしいことを言って微笑した。
 卓上に並んだ陶磁器を眺めて、サナギは、皿は欠けるから消耗品の扱いなのだろうかと、要らぬ心配をしている。
 カイコは、いつだったか、中国映画で見た、皿の修理職人の姿を思い浮かべた。
 「肩の竿に道具をじゃらじゃらと提げて、鈴の音を合図に道を歩いてた」カイコが記憶をたどると、確か小さな村が舞台の映画だったとサナギが応えた。
 皿直しの職人は、皿のかけらを粘土状の接着剤でつくろっていた。さらに釘のようなものを使いカツンカツンと皿に打ち込んだ。
 「修理した部分が、手術後の縫い目みたいで、傷跡がけなげだった」カイコの言葉に、サナギは同調して、覚えてると二度言った。
 映画はおさげ髪をした少女が主人公だった。村では、娘たちが村の男たちに毎日食事を揃えていた。少女は、学校へ行く前に、せいろ蒸しや煮炊きをしていた。家の半分近くを占める土間をちょこちょこ動き回るおさげ髪の光景がよかったと、サナギは言った。
 修理を施した皿は、元々は少女の恋人からの贈り物だったかと、サナギがカイコにたずねた。
 「贈り物は髪留めだったと思うよ」カイコは答えた。
 皿は、少女の作った料理を初恋の人が初めて食べた時に使ったものだった。 
 突然、彼が村を去って行った。追い駆ける道すがら、少女は抱えていた大切な皿と料理を落としてしまうのだ。ふさぎ込む娘を見かねて、母親が、皿直しの職人を呼んだ。
 サナギが箸を置いて、ふと、カイコにたずねた。一目惚れはあてになるか、と。映画の中で、少女は彼を一目見て好きになったからだ。
 サナギは、男女の出会いはどれも同じだと言う。一目で恋に落ちようが、初見はいまいちだろうが、どんな出会い方をしても男女のつき合いは割り切れないと言うのだ。
 「一目惚れはあてになるよ」カイコがいともシンプルに答えると、サナギはその理由を聞いた。
 「愛のマジックよ」カイコが晴れ晴れと言う。サナギは、その言葉はいつ聞いても愉快だと笑った。笑いながら、またデート中にゴーストが浮遊してきたのかと、カイコをからかった。カイコは大きくうなずいて、
 「彼は、毎度毎度、肝心な場面で現れるのよね」と、ほほ笑んだ。
 彼というのは、カイコの一目惚れの相手だ。彼とカイコは、長いこと、近づいたり離れたりを繰り返している。サナギは、二人の関係について、友情なんだか恋愛なんだか、好きなのか嫌いなのかさっぱり分からないと、易のサジを投げている。
 「魔法よ。もしくは念力かしら」お構いなしのカイコは、調子に乗って続けてみせた。しかし、サナギはカイコを戒めた。魔法を確かめるために外の人とデートしてるようなものだ、浮ついた気は凶を招くと。
 カイコは言葉を失い、しばらくうつむいていた。
 「・・・隠れんぼしているみたいでしょう。たまにね、彼を見つけるのだけれど、なんだか、ばつが悪いのよ。いつでも、タイミングを外してしまう。・・・そんなこんなで時が流れていくのよ」
 隠れんぼは止めにして、大人らしく向き合ってカードゲームでもしたらどうかと、サナギが真顔で提案した。
 「それがね・・・隠れんぼって楽しいのよ。きっとね、私の分身はけっこう執こいに違いないわ」
 カイコの言葉にサナギは呆れながらも、案外おもしろそうだと言った。
 カイコとサナギは、大きなスプーンを手に、三、四人前はある杏仁豆腐の丼をつつき合っている。
 とっさに思い出したように、サナギが、幻影だか幽霊だかそんなタイトルの映画があったと言い出した。恋い焦がれて亡霊みたいにさまよう男女の話、上海だったか、夜の歌劇場が舞台の、とサナギが言うと、
 「知ってる知ってる、泣いた泣いた」と、カイコが応えた。
 おいしそうな上流階級の映画だったと、サナギが夢心地の顔をした。
 やにわにカイコが言った。
 「映画が見たくなった」
 中華料理と映画は相性が良い、魅力たっぷりだと、サナギが占った。
 カイコはスプーンをくわえたまま何度もうなずいてから、小さく叫んだ。
 「中華街にシアターがあったらいいのに!」
 それは抜群にいいアイデアだ、大吉の兆しが見えると、サナギがうなった。
 (つづく)



このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。
www@hb-arts.co.jp