2002年(平成14年)7月10日号

No.185

銀座一丁目新聞

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追悼録(100)

 毎日新聞の先輩には尊敬すべき方が少なくない。社会部長として仕えた森丘秀雄さん(平成2年7月24日死去、享年70歳)はその一人である。社会部のデスクになった時、森丘さんは横浜支局長から部長になられた。昭和41年8月1日である。実はサンデー毎日のデスクであった私は二日前、岐阜支局長を内示されていた。頑固で協調性がないとみられている私は東京管内の支局長を体よく断られ、名古屋へ行くことになったらしい。ところが、社会部のデスク(副部長)に急に空席が出来たため、この人事になた。今考えると、私の社会部デスク行きは森丘さんに配慮があったのかもしれない。人の運命はわからない。ここで私が岐阜にいっておれば、記者としてまた違った道をたどったことであろう。
 森丘さんは社会部のデスク時代、官僚の実態を暴いた連載「官僚にっぽん」(第5回菊池寛賞受賞、第一回新聞協会賞受賞)の発案者である。私はこの企画を担当するグループに加えられ、取材に当たった。今でも覚えている。元大蔵省の局長であった今井一男さんが「役人に対しては、たえず悪口をいわねばいけない」と言う言葉である。マスコミが常に目を光らせ、官僚の批判をしなければ腐敗するというのである。昨今の官僚のだらしのなさは新聞にもその責任の一端があるといえる。
 森丘さんの身上はねばりである。短気な私など足元にも及ばない。都庁記者クラブにいた内藤国夫君(故人)の原稿「公明党の素顔」を一年間ロッカーにしまいこんで知らぬ顔を通した。内藤君が催促にきても「いま検討中だ」とすまして答えた。ここだけの話だが、公明党から出版を差し控えて欲しいと社の幹部が頼まれたらしい。その意向を森丘さんが忠実に守ったのである。あとの部長の時、この本は出版された。
 森丘さんとは仕事の面でよくケンカした。部長とデスク。お互いに頑固だから仕方ない。良い紙面づくを目指したのだから以って瞑すべしである。仕事は楽しかった。良い仕事が出来た。

(柳 路夫)

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