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「君が代」「日の丸」に敬意を
牧念人 悠々
卒業式に日の丸を掲揚し、君が代を歌うか歌わないかをめぐって、広島の高校の校長さんが自殺した。教育熱心で真面目な先生だったという。県教育委員会と県教組のいたばさみに悩んだ末の死であった。 西田善夫著「話し上手は聞き上手!」(青春出版社 定価 850円+税)には王貞治さん(現ダイエー球団監督)が「子供たちに、国歌や国旗に対するマナーを覚えさせる方法はないものだろうか」と悩んでいる話を紹介している。王さんとハンク・アーロンさんが音頭をとり、毎年夏、日本に世界 30ヵ国ぐらいから少年少女を招いて、世界少年野球大会が開かれている。毎回、各国の選手が到着すると選手村で、オリンピックさながらの入村式が行われ、そこで各国の国歌を演奏する。どこの国の子供たちも、他国の国旗でもしっかり見つめ、国歌を聞く。だが日本の子供たちだけが国旗のほうを向かない。他国の国歌の演奏中も、おしゃべりしているか、うつむいているという。これは、学校でしっかりと、国歌、国旗に対するマナーを教えないからである。春、夏の甲子園での高校球児たちの姿を思い浮かべてみたらいい。勝ったチームは一所懸命に校歌を歌い、負けた相手チームさえ泣きじゃくりながら、勝ちチームの校歌を聞いているではないか。まして、一国の国歌と国旗であれば、なおさら敬意を表わすべきであろう。 「日の丸」は軍国主義の象徴であり、主権在民の時代に“君が代”は似つかわしくないというのは、世界の歴史を知らないものの言い草である。世界の列強はかって植民地拡張政策を押し進め、極悪非道なことをしたではないか。どこの国民が自国の国旗を忌避したであろうか。 国歌にしても、その国の歴史が反映している。たとえば、フランスの国歌は革命の歌である。 国歌「君が代」を調べてみる。天皇の治世を祝った和歌で、平安初期から知られている。国歌の源歌は、藤原朝臣石位左衛門が「さざれ石」をみてよんだ歌「わが君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」である。この歌は「古今集」巻七、賀歌に読み人知らずとして採録されている。国歌として制定されたのは明治 26年8月12日である。作曲は宮内庁雅楽課の林広守で、海軍軍楽隊教師、ドイツ人の F・エッケルトによって編曲された。はじめての演奏は明治13年11月3日、明治天皇の誕生日であった。この楽譜は、明治21年、海軍省から各条約国に送られた。日本の憲法では「天皇は国民統合の象徴である」と規定されている。民主主義の世となり、主権在民の時代であっても、天皇は日本国の象徴として敬意を表わすべきものだと思う。 他国と同じく、日の丸を掲揚する時には、君が代が歌われるのは当然なことである。いまの日本の状態はきわめて不自然である。 自殺した校長をせめるつもりはないが、教育者たる者、自分の信ずるところを生徒に説き、実行していくほかあるまい。真面目とは所信を貫徹することである
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