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「タンゴ」
1998年/スペイン・アルゼンチン合作/カラー/ドルビーSRD
/スコープサイズ/116分 1998年のカンヌ国際映画祭で発表されて大きな話題をよんで以来、日本での公開が待望されていた「タンゴ」である。思いがけなくも「ダンゴ三兄弟」が流布して、日本はタンゴブームになった。まるで流行の波にのって登場したかのような「タンゴ」だが、無論そうではない。 スペイン映画の第一人者、カルロス・サウラ監督は、始めのうちは妻ジェラルディン・チャップリンとのコンビの作品が多かった。しかし結婚生活を解消してから取り組んだ、音楽やダンスをテーマにした一連の作品で、より大きな成功をとげた。「血の婚礼」「カルメン」「恋は魔術師」などである。 スペインの魂のかたまりのようなこれらの作品と、「タンゴ」を比較すると、スペイン人であるサウラにとって、アルゼンチンの庶民の心が結集したタンゴの映像化は、かなり難しかったのではないかという気がする。それは、アルゼンチンという国の近代史を抜きに、タンゴを語ることができないからである。そして、映画作りの初期に、当時のフランコ政権に挑戦しつづけたサウラの反骨精神が、アルゼンチンをかつて席巻し、未だその後遺症を残す軍事政権を、映画の中にどうとりこむかが重い課題だったに相違ないと思うからである。 例えば「カルメン」。アントニオ・ガデスの振付と主演によるこの映画は、ビゼーの歌劇「カルメン」という太い背骨にしっかり支えられて、出来上がっている。一方「タンゴ」は、合作とはいえよりアルゼンチン的なものが要求されるから、サウラが勉強を重ねた末の、アルゼンチン社会の中でのタンゴというものが、やや理屈っぽくなってしまっている。しかし、私にはそこが面白かったのである。 物語は、中年の映画監督マリオが、新しい作品の撮影にかかるところから始まる。作品の内容、すなわちフィクションと、マリオの私生活がないまぜになって映画は進行する。彼の祖父母が移民として、ブエノスアイレスに到着した頃を再現したシーンが私は好きだ。船着場にいる大勢の人々の背後に、ヴェルディの歌劇「ナブッコ」の美しい合唱曲、望郷の想いをこめた「行けわが思いよ黄金の翼に乗って」が流れたと思うと、群衆の中から何人かが踊り出し、それが次第にタンゴの形となって全員が加わってゆくさまは見事だった。 軍事政権下に行方不明となった友人たちに、マリオが思いを馳せるシーンも象徴的でよかった。黒い大型自動車、フォード・ファルコンが画面の前方に止まっている。これだけでアルゼンチンの人々は、子どもとペロニスタが誘拐され、殺された時代を思い起こす。フォード・ファルコンは霊柩車、死への迎えを意味する。そしてこの光景は、 16世紀にアルゼンチンを征服したスペイン軍が、先住民を皆殺しにしたイメージとも重なるのだ。名手たちによるタンゴの踊りのすばらしさは、息をのむばかりである。映画の主役に抜擢される若いダンサーに、先輩の踊り手が嫉妬する。これは「カルメン」でも同様だったが、先輩ダンサーのほうが、はるかに踊りがうまいのもまた同じである。そして最後。さまざまにもつれた人間関係が殺人を生み出し、観客が固唾をのむところで、すべては映画の撮影でした、ということになる。実は「カルメン」も見方によっては同じ構成をとっている。 三大テノールを演出し、ピアソラのピアニストも務めたという、ラロ・シフリンの作曲とプロデュースによる音楽の数々は百花繚乱で、踊りにも音楽にも堪能したけれど、もう一度みたいという思いがしきりにする。 ゴールデンウィークにBunkamura ル・シネマ(03-3477-9264)で上映予定
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