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国を愛し、仕事一筋の男の死
牧念人 悠々
国を愛し、仕事一筋に生きた大正生まれの一人の経営者が死んだ。名前は山崎家億という。享年 81歳。職業、土木建築業。家族に長女、次女あり。敗戦後、ジャワより復員すると、焼土と化した日本を再建するには土木建築しかないと、22年1月に、ふるさと茨城県水海道に常和工業という会社を創立した。戦地では隣にいた戦友が敵弾に倒れ、九死に一生を得た好運な男である。水海道小学校の恩師、 101歳の沼尻茂さんは評する。「イエオクはウデップシが強かった。正義感の強い子だった。ナサケがあって、人の為にケンカもした。正義感の強い根性のある子だった。勤勉だった」 爾来 50年、ふるさとにどっしりと根をおろし、国、県、市町村の仕事をひとすじに、誠実にしかも精力的に事業を展開、立派な実績をあげた。 20年前にガンで胃を全部とった。72キロあったのが32キロになった。それでも寝こまず、会社の机に坐らない日はなかった。日ごろから口癖であった「死ぬまで仕事をする」目標は達成された。(9月28日午後8時3分、心不全のため東京・三楽病院で死去)従業員 32人、資本金2400万円、公共事業を主体にした中堅企業、鬼怒川下流の水防及び堤防の保全にも寄与した。「刈り入れ前の田畑の補償にはひと一倍気をつかった」と遠藤水海道市長は弔辞の中で述べていた。 長女理恵子さん(現社長)の話では亡くなる直前、広島で感ずるところあって原爆ドームの絵を描いていた理恵子さんをわざわざ呼び、車を運転させ、これまで自分のした仕事の跡々をみせて廻った。 車の中で「俺の性格を一番よくひきついでいるのはお前だ」と言ったそうである。すでに、万一の場合、後事を理恵子さんに託すつもりであったのであろう。常務として二女、悠美子さんがおり、しかも一級建築士と一級設計士の資格も持っており、経験も豊かである。それでも、なお長女を選んだ父親は、さきざきの常和工業の行く末を考えたのであろうか。 10月13日、水海道市、報告寺で開かれた山崎家億さんの常和工業の社葬はユニークであった。型通りの弔辞のあと、 21代無双流直伝英信流、関口高明さんの居合の型と、居合による竹斬りがあった。見事な太刀さばきであった。最後を締めたのは竹内元埼玉県教育長のハーモニカ演奏。曲は「子守歌」、家億さんは5 歳の時、母親をなくし、子守歌を聞く機会が少なかっただけに最高のはなむけになった。このユニークな社葬、参列者にはどう映ったであろうか。 葬儀で大切なのは、死者をいたむことである。式場のおごそかなふんいきをこわさず、参列者が、死者の功績をたたえ、なつかしかった昔を語り、哀悼の念をそこはかとなく表現すればよいであろう。 型破りの葬儀だったとはいえ、理にかなったものであった。 日本は山崎家億さんのように、国を愛し、ふるさとを思う無名の人々によって支えられているとつくづく思う。
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