1998年(平成10年)10月20日(旬刊)

No.55

銀座一丁目新聞

 

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映画紹介

第11回国際女性映画週間上映作品(5)

第七官界彷徨 尾崎翠を探して

大竹 洋子

監 督 浜野佐知
脚 本 山崎邦紀
撮 影 田中譲二
美 術 奥津徹夫、星埜恵子
音 楽 吉岡しげ美
出 演 白石加代子、吉行和子、宮下順子、白川和子、
横山通代、石川真希、柳愛里、内海桂子ほか

1998年/日本映画/カラー/108分

 女性監督の浜野佐知さんは、これまでに300本近い成人映画をつくってきた。10代の頃から映画監督を志した浜野さんは、映画製作の現場に身をおきたい一心で、ピンク映画と呼ばれる世界に飛びこんだ。そしていつか本当につくりたい映画がつくれる日を夢みながら、30年の歳月をここで過ごした。

 その浜野さんが積年の思いを凝集させて取り組んだのが、「第七官界彷徨 尾崎翠を探して」である。浜野さんの願いを知るたくさんの女性たちの応援を一身に受けて、浜野さんがすばらしい作品を完成させたことを、私は心からうれしく思っている。

 尾崎翠は、およそ100年前の1896年に鳥取県で生まれた作家である。自然主義文学が主流だった時代に、その風潮に真っ向から反対し、『第七官房彷徨』や『こほろぎ嬢』など、ふしぎな感覚世界を現出させて、林芙美子や太宰治など一部の作家たちから注目された。しかし、常用していた頭痛薬の中毒で幻覚症状におちいり、35歳で郷里につれもどされてからは、二度と上京することがなかった。

 尾崎翠は死の床で、「このまま死ぬのならむごいものだねえ」といって大粒の涙をぽろぽろこぼし、それから数日後に74歳の生涯を閉じた。この「むごいものだねえ」をどうとるかが、映画の決め手となった。鳥取県で取材を行った浜野さんは、尾崎翠が、巷間伝えられるような、志半ばにして精神を病み、筆を折ったはかない女性作家というイメージではなく、故郷に帰ってからも姪や甥の面倒をみながら、旺盛な批判精神と共にしゃんと生活しつづけたことを知った。そういう尾崎翠の人間像を打ち出そう、と決めた浜野さんの映画作りは成功している。「むごいものだねえ」といって死んだ尾崎翠は、あわれなとか、悲運なといったイメージからは程遠く、人生を全うした強い意志をもつ女性であったことが、よくわかった。

 この尾崎翠を演じるのが白石加代子さんである。浜野さんはある会合の折に廊下ですれちがった白石さんを、尾崎翠がこの世に現れたと思ったという。追いかけていって、映画に出てくださいと口説いた浜野さんも偉いし、引き受けた白石さんも立派である。

 映画では冒頭に、かの「このまま死ぬのなら…」が出てくる。ああ、白石さんも映画もうまくいったと私は直感した。74歳の尾崎翠が最初に出て、それから順を追って翠は若くなってゆくという構成を映画はとっている。そして、その生涯をつづる合間に、代表作である『第七官界彷徨』が劇中劇のかたちで挿入される。
赤いちぢれ毛の少女町子と二人の兄、従兄のおかしな生活を描いた小説の世界と、尾崎翠の現実、両者を結ぶ狂言まわしの現代の若い女性、この三つが組みあわされて映画は進行する。浜野さんの感覚はみずみずしく冴え、町子と従兄の三五郎、兄の一助の3人がオンボロピアノで歌う「片恋のうた」のシーンなど、私は大いに感動した。翠と親友松下文子のやりとりも心にしみる。

 最後のシーンは鳥取の砂丘である。若き日の尾崎翠、松下文子、林芙美子、深尾須磨子、城夏子らが集い、笑いさざめいている。この人たちもまた、早く生まれすぎた女性だったのだろうか。その作品が映画化されることを望んだという尾崎翠に、この映画をみせたかったとつくづく思う。浜野さんの意図もそこにこそあったであろう。これは浜野さんが尾崎翠にささげたオマージュであり、浜野さんの新しい旅立ちの宣言なのである。吉行和子、宮下順子、白川和子、横山通代といったベテランの女優たちが総出演して、浜野さんを助けていることも特筆に価するし、スタッフにも女性が多い。まさに女性たちが力を結集してつくりあげたこの作品こそ、女性映画週間にもっともふさわしいと、私は我田引水している。

11月4日(水)3:30からシネセゾン渋谷(03−3770−1721)で上映

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