1998年(平成10年)10月20日(旬刊)

No.55

銀座一丁目新聞

 

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小さな個人美術館の旅(51)

盛岡橋本美術館

星 瑠璃子(エッセイスト)

 盛岡はいつ来ても美しい街だ。この街を歩いていると、何ともいえぬ幸福な気分に満たされるのは街中をゆったりと流れる川のせいだろうか。

 いつだったか夏の終わり、秋も彼岸を過ぎれば鮭の遡るという中津川のほとりを県民会館の立つ与の字橋のあたりから下っていったことがある。護岸工事のされていない川沿いの道は穏やかに優しく、忘れな草の咲き残る岸辺に下り立ったりしながらうっとりと歩いてゆくと、三本の川の合流地点に出た。この先は北上川となって海まで流れてゆくのだろうか、中津川、北上川、雫石川といずれも滔々たる大河がひとつになって波立ち溢れていた。私は胸をドキドキさせながらだれもいない川岸に立ち、ごうごうと川音を立てて流れる川面に目をこらして時の経つのを忘れた。見上げれば東には北上山脈、西には奥羽山脈の雄大な山並みがうっすらとオレンジ色を帯びた夕方の空に藍色に霞んで続き、ふとクロード・ロランの「理想風景」を思い出したりした。

 橋本美術館は町の東方、岩山と呼ばれる小高い山の中腹の、昼なお暗い杉木立の中にある。御影石の砕石を敷きつめた石畳に盛岡市のシンボル「しだれかつら」を配した前庭がしっとりとしたアプローチを作る堂々たる美術館だ。ただ堂々としているばかりではない。南部曲り家や土蔵や煉瓦を配した民家風の建物は、他のどこにもない独特の味わいをもち、この温雅な北の都にまことにふさわしいたたずまいである。こんな見事な美術館を、橋本八百二という一人の画家が独力で建てたとは驚くべきことではあるまいか。しかも地下一階、地上三階のべ三千五百平米という大美術館を設計図もなくスケッチブックにアイディアをデッサンしては工事を進めていったというのだからびっくりしてしまう。五年の歳月を費やし、1975年に開館した。

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盛岡橋本美術館

 内部はその橋本八百二の作品と、橋本ゆかりの現代日本の洋画家、それにフランス18、19世紀バルビゾン派の作品、彫刻、工芸・民芸とおよそ四つの部門に分かれている。そしてなんともユニークなのは本館屋上に大きな南部曲り屋を乗せていることだ。南部曲り家とは旧南部藩領内に分布していた民家の形式で、母屋と厩が土間庭を隔てて直角に配置されるところからそう呼ばれることになったものだが、もと紫波町にあったものをダム建設のため湖底に沈められるのを惜しんで移築したのだという。「庶民の生活と美の探究」というこの美術館の理念が、ここに立って初めてなるほどとうなづけた。

 本館の第一展示室には、バルビゾン派を中心とする作品が飾られている。クールベ、ドービニー、ランゲなど、懐かしくもみずみずしい風景画の数々は西欧の洋画の歴史の厚みを感じさせるばかりでなく、盛岡郊外の民家風の建物にしっくりと落ち着き、その後に続く橋本や現代日本の洋画家の作品へと自然な導入部をなしているように思われた。

 幾つかの展示室を経て八百二の部屋に出た。橋本八百二といっても知らない人が多いかもしれない。1903年(明治36)、盛岡に程近い紫波町に生まれ、県立盛岡農学校卒業後美術を志して上京、川端画学校を経て東京美術学校(現芸大)に進んだ。在学中より帝展をはじめとする公募展に入選をくり返していたが、第十一回帝展で日立鉱山労働者の坑口での作業交代を題材にした「交代時間」が特選となり、一躍画壇にその名を馳せることになった。その「交代時間」など暗く重厚な労働者群像期の代表作をはじめとして、渡欧期の「凱旋門」、帰国後の「岩手山朝陽」、美術館開館のためにその朝までかかって描いたという鹿踊りを題材にした九百号もあろうかという大作「天に響く」や絶筆「八甲田新緑」まで、次第に明るさを増してゆく生涯の作品およそ三十点の油彩が二つの大きな展示室に掛けられているさまは圧巻だった。

 次に続くのが、八百二の生涯を通じて交流のあった画家たちの作品だ。画学校時代からの友人だった海老原喜之助、ともに東光会を設立した高間惣七。里見勝蔵、向井潤吉、田辺至、田中阿喜良、久保守、橋本花、山口長男、丸木位里、俊、中村直人、刑部人……。橋本花は八百二夫人だ。倉敷の大原美術館の名を上げ、「西の大原、北の橋本美術館」とだれかが書いていたのを読んだことがあるが、八百二の頭のなかにもそんな構想があったに違いない。スケールの大きな展観は第六展示室まで続き、山の斜面を利用して下方へと続いてゆく工芸・民芸の展示館まではとても見切れずに私は屋上の曲り屋へと上がって行った。

 何十畳敷きなのだろうか、広大な座敷の続く突き当たりに、ぱっと明るい空間が開けた。晴れた日には岩手山が正面にくっきりと姿をあらわすのだという。さっき見た、明るい青空をバックに山肌を紅に染める八百二の「岩手山朝陽」も岩山付近から描いたものと聞いて、その贅沢さに圧倒された。さやさやと渡る風に吹かれて、こんなところで一日ひっくりかえっていたい。盛岡とはやはり驚くべき街だ。


住 所: 盛岡市加賀野才ノ神10 TEL 019-652-5002
交 通: JR盛岡駅よりつつじケ丘団地行きバスで貯水池前下車5分
休館日: 年末年始(12月29日〜1月3日)以外は年中無休

星瑠璃子(ほし・るりこ)

東京生まれ。日本女子大学文学部国文学科卒業後,河出書房を経て,学習研究社入社。文芸誌「フェミナ」編集長など文学、美術分野で活躍。93年独立してワークショップR&Rを主宰し執筆活動を始める。旅行作家協会会員。著書に『桜楓の百人』など。

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