1998年(平成10年)10月20日(旬刊)

No.55

銀座一丁目新聞

 

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ニューヨーク便り

針の穴からのぞいて見れば ―― ユージン・O・リッジウッド

コンピューターは密告する

 ルインスキー事件として世界的な注目を集めているクリントン大統領とモニカ・ルインスキーとの情事の捜査がきっかけで、今コンピューター関係者から大きな警告が発せられている。いわく、「コンピューターはあなたのプライバシーを守ってくれない」。

 リンダ・トリップの計略でモニカによる情事の独白が密かにテープ録音されていたが、その違法性の是非は別としても、この程度の奸計は特に驚くに当たらない。コンピューターの専門家たちが注目したのは、ケネス・スター特別独立検察官が米下院に提出した捜査報告書に記されている小さな注釈である。その報告書の何ヵ所もの所に捜査で判明した“事実”の根拠が注釈として記されているが、その注釈は「ルインスキー所有の自宅コンピューターから回収された文書」とか「ルインスキー所有コンピューターの削除ファイル」とか「キャサリン・デービス所有コンピューターから回収された電子メイル」などとなっているのである。つまり捜査官たちは、ルインスキーのコンピューターを押収、その上で削除されていたすべてのファイルまで再生、捜査上の証拠書類として報告書に記載もしくは添付したのである。

 コンピューターを少し扱う人なら誰でも、作成した文書の保存が簡単に出来ると同時に削除もまた指先操作で実に容易に出来ることを知っている。しかしコンピューター専門家の警告はこの簡単な操作の落とし穴について発せられるのである。「文書の削除は本当の意味での抹消ではない。ただ画面に見えなくなっただけなのだ」と。

 ニューヨーク・タイムズのピーター・ルイス記者がこの問題を最近のニューヨーク・タイムズ紙上で専門家の話しを元に詳しく報じている。

 それによると、コンピューターで一度作成された文書はコンピューターの中に頑として記録が残され、それを通常の削除処置をしても、コンピューターからその痕跡を抹消したことにはなっていないのだという。このためコンピューターを押収すれば、かつてそのコンピューターによってどんな文書が作成されたり記録されたか、専門家の手によってたちどころに再生可能であるというのである。これは自分が作成した文書だけに限らない。インターネットによって何らかの情報入手を試みた場合でも、本人がそのサイトを見終わって接続を切ったとしても、コンピューターにはその接続の痕跡が確実に残されている。従って密かに株式情報あるいはポルノ・サイトにただの一度でも接続すると、本人がどんなにしらを切ろうと、コンピューターに残された記録によってその嘘はたちどころに見破られてしまうのである。

 それでは文書を完全に抹消することは永久に不可能なのか。

 ここにまた技術の不可思議さが働く。実は可能なのである。一つの方法は、作られた文書の上に完全に別な文書が上書きして、10からなるコンピューター文字の組み合わせを完全に書き換えることである。しかしこれは現実問題としてはまず不可能な話しだという。なぜならコンピューターの保存用スペースにいったん保存された文書全体の上に完全に別なものが書き加えられるということは普通では起こらない。特に最近のように数ギガバイトという巨大な保存容量が普通になっているコンピューターでは、保存は次々と空白部分に書き込まれていくので、上書きは起こらない。

 第二の方法は、最近市販されている文書その他の記録を暗号化するソフトを使用することである。これにより、残された文書記録はそのコンピューターの寿命の間、半永久的に解読されることがなくなるという。

 コンピューター・ハッカーの登場で、コンピューターに保存された情報の漏洩防止はコンピューター使用者、特に政府機関、軍事関連機関あるいは大きな民間会社などでは重大関心事である。このためこれらの組織ではそれなりに防衛対策がとられているが、個人のレベルでは秘密保持対策などというのは大よそ想像外のことである。例え秘密保持を考えても、作成文書を消去もしくは削除するか、あるいはフロッピーディスクに保存することで、秘密保持は可能と考えてしまう。しかし自分は犯罪にからまなくてとも、いつ何時捜査資料として任意提出を求められたり、あるいはコンピューター専門家により、過去の使用の痕跡を追跡されることになるか分からない。となれば、コンピューターに対する使用者意識を改造する他はない。新しい意識とは、「コンピューターは無言のうちにあなたのプライバシー記録保存している」「コンピューターはあなたを常時監視している」という意識である。

 残業と見せて会社のコンピューターで密かにラブレターを作成しているエリート社員、暇を見つけては株価情報を睨んでいる高級官僚、自宅だからと安心してポルノサイトをサーフしている学校教師などは特にご注意あれ。コンピューターは密かにあなたの行動を監視、記録している。そしてある日突然密告者としてあなたに牙をむくことになるかも知れないのである。

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