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「輝きの海」 大竹 洋子
1997年/アメリカ映画/カラー/114分
今世紀初頭のイングランド南西部、コーンウォールの海辺の村に、エイミーという少女がいた。両親から疎外され、愛されることを知らずに育ったエイミーは、かたくなで他人とあいいれず、彼女のなぐさめは、ただ海の輝きとその海が運んでくる宝物、石やガラスの破片ばかりである。エイミーはそれらの品々を渚の洞窟に集め、そこが彼女の憩いの場所だった。 ある日、この地方を大嵐が襲い、付近を航海中の船が沈没した。貧しい人々を東ヨーロッパから新天地アメリカへ運ぶ移民船だった。海辺におびただしい数の死体が打ち上げられ、乗員はすべて死亡したと思われた。しかし唯一人、生き残った者がいた。ウクライナの青年ヤンコである。彼もまたアメリカでの成功を夢みて、祖国をあとにしたのだ。 傷つき、ひもじさに耐えながら、ヤンコは村中を走りまわり助けを求めるが、その異様な風貌と奇妙な言葉に、だれ一人手をさしのべる者はない。ようやくヤンコは一軒の農家の納屋に逃げこむ。そこはエイミーが雇われている家だった。エイミーは言葉の通じない若者を介抱し、食べ物を与える。こうして、互いのことは何ひとつ知らない二人のあいだに、愛がめばえた。 久し振りにみる正面きったラブストーリーである。原作はイギリスの作家、ジョセフ・コンラッドが1901年に発表した短編小説『エイミー・フォスター』。コンラッドはポーランド系ウクライナ人で、若い頃にひとことも英語を話せないまま、イギリスにやってきた。彼の異邦人としての体験は、見知らぬ土地で生きることになったヤンコと、その土地に生まれながら、よそ者として心を閉ざすエイミーの、恐怖や不安の想いに反映されている。そして、映画は二人のこの愛を、イギリスの片田舎の閉鎖的社会に住む人々が、どう憎悪し拒否し、どう受け入れるかを問いかけてゆく。 イギリス出身のビーバン・キドロンは、国内で成功した後、アメリカのハリウッドに進出した女性監督である。シャーリー・マクレーンとマルチェロ・マストロヤンニが共演したラブコメディー「迷子の大人たち」(92)や、パトリック・スエイジ、ジョン・レギザーモを起用して、同性愛者の珍道中を描いた「3人のエンジェル」(95)のヒットで知られるキドロン監督の演出は、ここでは正攻法が用いられる。そして100年前のテーマ、“不寛容と寛容”が、現社会でもそのままつづいていることを観客に提示する。 主人公はエイミーとヤンコと海である。海しか愛することのできなかったエイミーと、エイミーにとっては海からの贈り物であるヤンコ、そして、時にやさしく光り時にたけり狂う大海原、この海に見守られながら二人は愛を育み、結婚し、子どもを得る。二人をはばむ村人やエイミーの両親に対し、老医師と、ヤンコの雇い主父娘だけが彼らの味方である。雇い主の娘を演じるキャシー・ベイツの硬質な演技がすばらしい。 堂々とした愛の物語、完成された古典的名作にあたるこの「輝きの海」が、女性映画週間のオープニングをかざる。監督のビーバン・キドロンも、ゲストとして来日する予定である。
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