2006年(平成18年)2月10日号

No.314

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花ある風景(228)

並木 徹

スポニチ登山学校10周年を祝福する

 スポニチ登山学校10周年祝賀会が開かれた(2月4日・東京。東池袋「かんぽヘルスプラザ東京」)。来賓、講師、1期生から10期生まで130人が出席した。卒業生は400名を超える。よくも10年も地味な山の学校がつづいたものだと思う。1期生が入校したのは平成8年1月24日。78名を数えた。2期生は80名であった。今年1月の11期生は17名である。生徒数の激減は時代の流れというほかない。それでも在校生はアドバンスコース(2年生)21名、エキスパートコース(3年生)48名が居る。3年生には3期生から8期までの留年組もふくまれる。
 初めに会場に平成5年群馬県山岳連盟の登山隊がサガルマータ(エベレスト・8848メートル)の冬季南西壁からの登頂に成功したフイルムが映し出された。翻るスポニチ旗。つづいて阿久悠さんの「きっとことしは」のサガルマータ賛歌が朗読される。この登頂隊員を中心とした世界一の講師陣で登山学校はスタートしたのである。
 挨拶にたったスポニチの白根邦男社長は「スポニチ本社にはサガルマータの山頂の石、頂上で翻ったスポニチ旗、使用されたヘルメットがあります」と紹介したあと親会社の毎日新聞が昭和31年5月18日マナスル(8125メートル)に登頂した登山隊を支援した裏話をする。本田親男社長が戦後まもなくニューヨークタイムズ社を訪れた際、重役室に飾られたぼろぼろになった星条旗をみせられた。「わが社はバード南極探検を後援した記念だあなたの社にこんなものあるか」とやりこまれた。この事があったから京都大学のマナスル登山隊にポンと1億4百万円の資金を出したという。
 2期生の河村保男さんが近付いてきた。元中学校の校長先生。熱血先生である。文章も上手い。今もあちこちから頼まれて教育時評を書いているという。71歳である。5期生(延期して8期生)の別所俊彦さん(65歳)。この人はガンと共存しながら今なお登山を続けている。4年前に胸部に腫瘍が見つかり、胸腺の全摘出手術をやることになった。胸骨を縦に切断して摘出するのが一般的であったがそれでは運動障害が残り重いザックが背負えなくなる。というので医療ミスのでやすい胸腔鏡による手術を選んだ。それが成功した。あとリハビリに精を出した。目標を立てそれを確実に実行するのはすごい。「若さは年齢ではない」と言う信条の持ち主。「坊がつる賛歌」と「アンザイレン」の歌の指揮をした8期生の国分りんさんと話をする。この日は着物姿。見違えてしまった。本紙に連載している「山と私」は書くほどに上手くなってきたと誉める。「仕事をしながら山へ行くのは大変ですよ」とこぼす。6期生の藤原昭生さんは2000年10月奥さんをガンで亡くされて一時は自棄酒を飲んでいたのに8期生の塚越香織さんと昨年10月再婚されたと会場で聞いた。香織さんの父は山男であったから山男と結ばれたのは自然の成り行きかもしれない。最後に新しく登山学校の校長になった尾形好雄さんが1期生から10期生97名を各期ごとに段上に挙げて一人一人紹介した。全員の顔と名前を覚えているのには会場からどよめきが起きた。この学校が10年も続いた理由の一端がわかったような気がした。スポニチ登山学校に栄光あれ・・・

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