競馬徒然草(65)
―府中のケヤキ―
府中はケヤキの多いところとして知られている。大国魂神社の表参道には、見事なケヤキ並木がある。そもそもの歴史は、1062年に遡るというから古い。源頼義・義家父子が奥州の安倍氏の平定に赴く途中、大国魂神社に戦勝を祈願し、戦いに勝った帰還の折、大国魂神社にケヤキの苗を寄進して植えた。
時代が下って、徳川家康の時代。関が原の戦いの後、ケヤキの苗を奉納し、補植をした。これが現在見られる見事なケヤキ並木につながっている。昔から多摩地方にはケヤキが多いが、府中のケヤキにはそうした格別の理由があるようだ。
府中の東京競馬場の内外にも、ケヤキは多い。馬場内にも1本ある。それはスタンドから見ると、3コーナーと4コーナーの中間あたりにある。テレビやラジオのアナウンサーが実況放送で「大ケヤキの向こうを・・・」などと放送するので、お馴染みだろう。ところで、あの放送に出てくる「大ケヤキ」だが、あの高い樹は、実は「エノキ(榎)」なのである。低い樹のほうがケヤキである。従って、アナウンサーが「大ケヤキ」と放送するのは、正確ではない。レースが開催されない日に馬場内に入って眺めてみると、よく分かる。
ケヤキの枝は真っ直ぐ伸び、梢はほうき状に立つのが特徴で天に向かって枝を広げているように眼に映る。エノキの枝ぶりとは異なる。アナウンサーが誤って放送するのも、そもそもは、府中にはケヤキが多いことからくる誤解だろう。
ところで、なぜ、あそこにエノキがあるのだろうか。あの樹の下に、墓地があることと無縁ではなさそうだ。エノキは昔から神の木として、信仰の対象にされた。墓地に植えられたのも、崇敬の念からと思われる。ちなみに、府中の東京競馬場が開設されたのは1933年(昭和8)だが、エノキもケヤキも他の土地へ移植されることはなかった。競馬場の用地買収の折に、墓地を移転しないことが条件だったと伝えられる。 (
新倉 弘人) |