2005年(平成17年)12月10日号

No.308

銀座一丁目新聞

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花ある風景(222)

並木 徹

人形アニメーション映画「死者の書」

 原作・折口信夫、監督・脚本川本喜八郎人形アニメーション映画「死者の書」を見る(2006年2月11日から岩波ホールでロードショー)。686年(朱鳥1年)反逆罪で処刑された大津皇子(観世銕之丞)その霊を鎮める信仰深き姫の物語である。大津皇子は資質がすぐれ文武兼備で風貌凛々しく人気も高かった。父は天武天皇だが皇后の姉の子であった。天武天皇がなくなると皇后(持統天皇)と皇太子草壁皇子に疎まれ、訳語田(桜井市戎重の地か)の宮邸が軍隊に包囲されて自害する。時に24歳であった。「百伝う磐余(いはれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ」(万葉集416)の歌を残す。妃の山辺皇女は殉死した(北山茂夫著「万葉群像」岩波新書)。大津皇子の屍を二上山に移し葬ったあとに姉の大木皇女は「うつそみの人にあるわれや明日よりは二上山を兄弟(いろせ)とわが見む」(万葉集165)と不運な弟への追慕を表す。「死者の書〕の舞台はその二上山である。当痲寺を麓に持つ。死ぬ直前に一目見た耳面刀自(みみものとじ)という女性への思いがこの世に残る。した した した。甦る水の気配ととも大津皇子がよみがえる。50年後、大貴族、藤原南家の姫郎女が耳面刀自と見えて郎女を招き寄せる。
 初めに登場するのは奈良時代の歌人であり政治家の大伴家持(716−785・榎本孝明)。万葉集の最後の編集人といわれ、家持の歌が全体の一割残っている。父は大納言大伴旅人、叔母に才媛坂上郎女がいる。家持は16歳の時にこんな歌を詠む。「振り放(さ)けて若月(みかずき)見れば一目見し人の眉引おもほゆるかも」(994)。すでに恋い慕う女人がいたのである。馬に乗り伴を連れて朱雀大路を行く家持は藤原南家の屋敷の傍に来る。南家の姫、郎女(宮沢りえ)が神隠しに遭った噂を耳にしていた。郎女は筑紫の大宰府にいる父豊成朝臣から送られてきた「称讃浄土仏摂受経」の千部手写しの発願、その筆寫に懸命になる。千部写し終えたあと、春の彼岸の中日、郎女は激しい雨の中を一人家を出て西へ向う。俤びとに導かれるように二上山のふもとの当痲寺に着く。女人禁制ゆえに寺奴達はとがめるが南家の姫として大騒ぎとなる。庵室に座る郎女に当痲の語り部の媼(黒柳徹子)が語る。「大津皇子は死ぬ前に一目見た耳面刀自という女性への思いが、この世に残る執心となった」大津皇子が詠んだ「池の上の鴨の声」は「一目ぼれの女の泣き声」であった。皇子のために機を織る。はた はた ゆら ゆら。郎女は俤人を思いながら蓮糸の上帛へ絵の具を走らせる。画面は数千地湧菩薩であった。
 家持は言う「あの姫は神さびた娘御だ。結局人の手にはいらないであろう・・・」きょうも二上の男嶽の頂が赤い日に染まっていることだろう。

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