2005年(平成17年)11月1日号

No.304

銀座一丁目新聞

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茶説

憲法前文に日本の伝統、文化を織り込め

牧念人 悠々

 自民党の新憲法草案(10月28日)を読む。先ず「前文」である。日本の歴史、伝統、文化を愛し、継承する文言が欠落している。書き出しの「日本国民は」と「象徴天皇制」を削れば何処の国の憲法かわからない。アメリカは二度と日本が軍国主義に陥らないよう個人主義尊重の名のもとに徹底して日本を骨抜きにした。責任、義務を忘れた個人主義は子どもを非行に走らせ学級崩壊をもたらした。国に殉じた英雄を教科書から抹殺した。公のために尽す気持ちも萎えさせてしまった。自分たちの国を守ると言う気持ちなどはどこを探してもない。国を守ると言うことは自分の一身をなげうって家族、美しい国土を敵の侵略から防ぐということであり、日本の伝統、文化を永続させるためでもある。この気概の薄れていく国は滅亡をたどるほかない。先の大戦で200万人の戦没者を出したが、日本国家の破滅を救い、天皇制を護持できたのである。自決した作家の三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面隊で撒いた檄文にいう(昭和45年11月25日)。「日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか・・・」
 今は誰もが「生命尊重」を説いて「魂」の存在を忘れている。武士道は大和魂を尊重した。死して護国の鬼と化し、靖国神社の祭神となった。これが明治時代からの英霊の祭り方である。法務死14柱が祭られたとしても国際法を逸脱した東京裁判の結果であってあくまでその措置は日本がで裁量すべきものである。他国から批判される筋合いのものではない。他国に同調して無宗教の国立墓地の設置などという者がまたでてきたが論外である。前文にその魂が入っていない。
 第九条の平和主義をそのまま残したのは特記してよい。自衛軍の規定は当然である。実態にあわしたに過ぎない。湾岸戦争での海上自衛隊の掃海艇による機雷除去作業、今回の陸上自衛隊のサモワ派遣部隊の活動は他国の軍隊からその規律と練度の高さに於いて賞賛の的となっている。自衛隊 が軍隊であると世界が認めているのに日本だけが軍隊ではないといっている。いまだに核開発を止めない北朝鮮、海軍力の強化を続ける覇権主義の中国、さらにテロに対してはあくまでも日米安保体制を維持しながらそれなりの自衛体制を固めねばなるまい。普天間基地移転問題、横須賀の原子力空母配備など地元の反対の声が強い。「一県平和主義」にとらわれることなく、アジアの平和を守る見地から判断して欲しい。軍隊を創設したからといって戦争をするわけでない。日本はあくまでも9条により国際紛争を解決する手段として武力による威嚇又は武力の行使は放棄するのである。これから自民党案を元に大いに論議をすればよい。

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