2005年(平成17年)11月1日号

No.304

銀座一丁目新聞

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自省抄(45)

池上三重子

   9月27日(旧暦8月24日)火曜日 

  ふうぞばな摘みては垂らす花簾
  萎ゆるを知りし杳きかなしみ
  いとけなき目が見放たぬ空の奥
  昇りしみちを下りる雲雀に
 友人からの絵葉書に触発されての歌二首。鎌倉の竹寺の絵葉書は篁をわたる風の匂いと韻を身にする思いである。歳時記をひもとくことも滅多にないが世相から暫時はなれ、花鳥風月に遊ぶのも生ある日の「あるべきようは」であろう。宮柊二師門に学んだ日々も杳い昔、歌関係の人との交流が絶えて久しい近年であるけれど、会に入らず自然発生の歌が生まれれば記す−その気侭さが一番身にかなっているようだ。
 関祥子さん逝って六年になろうか。実力派の歌人だった。
 夫君富次氏は中学教師。彼女の死後お訪ね頂き、屋敷裏手に立派な歌碑を建立したとうかがった。歌碑に刻まれた歌は忘れたけれど、好きな二首は憶えている。
  素袷の軽き袂を菊に坐し母なるはよし妻なるはよし
  にんげんは聖餐のパンちぎりつづけ無花果はふかきむらさきに熟る
 二首めの「ふかき」は覚束ないのだけれど……。
 関祥子。しょう子ちゃん、と情こめて呼び、書きもした歌人。佳き歌作る佳き善きにんげんだった。異色の歌人として私は目にとめていた。彼女もそう思ってくれていたらしい。はるばる天草に訪ね、歌にもその意を遺してくれている。
 静脈瘤破裂は吐血。大量の血を吐いて絶命。救急車が病院についた時はすでに遅し。静脈瘤破裂を予告する医師の言葉を信じきれないままに、一週間の東欧旅行を終えて帰国後三日目、医師の予告通りの死であり日数であった。
  千の風となってはるばる紀の国ゆ
  天草にきて祥子汗拭く
  変形とふ言葉用ひしは唯ひとり
  秀歌成したり歌人祥子は
  紀州路や道成寺のほとり関祥子
  永遠にいきづくその歌碑のなか
  関祥子 あうんの息やおもかげや
  われのみ老いて思ひを献ぐ
  骨髄種 吐血すなはち絶命す
  散花さくらの大往生はや
 母上よ! 今から関さんの遺稿集読みにかかりますね。

  10月2日(旧暦8月29日)日曜日 快晴

 十月二日は私のリュウマチ発病の発端記念日。右膝関節に立ち上がるとき、坐るときと同じかるい異変を感じたのだった。昭和二十九年のことだ。朝食用意は「クド」二門で燃料は稲藁、もう一つ七輪にに火を起す。五時頃に起床する。
 同じ地区の「赤鼻ツルさん」と通称する肥ったお爺さん宅では、やっぱり学校勤めのお嫁さんがあり、その家では朝夕ともに上げ膳下げ膳の待遇、と聞けば羨ましかった。
 朝食の用意を整えて鏡の前に坐ったときの異常感から幾年月……偲えばはるかな杳いとおい昔の物語りよ。八十一媼は頬のゆるみをおぼえつつ綴っているのだ。
 逝く年月とは、寄る歳波とは、ありがたいものではないか。
 目は白内障を手術して明るい視力をとり戻したというのに、緑内障の発症。しかし文字が行文が歪つになるとはいえ、思考のほどほどが綴れるのは賜物、恩寵に他ならない。
 にも拘わらず私は死者二人を鞭つ折々を持つ。当時勤務していた学校の校長と教頭。半世紀経て、なお思い出せば胸たぎる理不尽扱いの二人。彼らが留守の職員室の噂話に加わることもなかった私に対するあの不遜さを、虎の威借りる権力の傲慢さを、私は胸の鼓動の早打ちのままに甦らせては、あえて彼ら死者を鞭たずにいられなくなる。
 結婚による新参私に、一市二郡合同の教研発表会の発表者にと衆議一決、押し付けられたあの雰囲気の勝鬨上げんばかりのさまは、まさしく大人の苛め、新参者への古強者の威圧。校長教頭の圧迫は迫害……涙が悲憤の、慷慨のそのなみだよ……
 発表会は九月三十日。夏休み四十日を当てた国語に関する勉強のまとめを柳川小学校の講堂で行った。校長会会長や地方事務所長の先生方はじめ、諸先生のねぎらいはおほめの言葉頂きであれば、身にあまる喜びであった。
 さて自校の校長教頭は? その日もたれた研究発表者をねぎらう宴の席上でも、私への言葉かけはなかった。上司のあの姿勢、私への無視は蔑視に他ならぬではないか。
 発表会終了後二日目の発症は、家では嫁としての家事かれこれプラス発表のための勉強。それが緊張のゆるみによって萌芽の膝関節の異変をもたらしたのではなかろうか。
 必然の異変の兆とも、偶然の一致とも私には判らない。
 あの校長教頭の不遜こそ、傲慢無礼こそ私は怒らずにいられないのだ。とおい昔よさようなら、恩讐の彼方にさようなら、とはなりがたい私か。思い出しては胸かきむしられるさまの未熟さ、成り難さ……私はあさましい人間ですね、死者を憎悪し罵倒の衝動おさえがたい五十年とは……あさまし! あさましの人非にん!
 母上よ、ごめんなさい。ああ、十月二日は私の悲痛と怨念(?)の記念日です。

 只今、五時四十分。
 妙子先生宅の若夫妻来室。
 よかった、よかった。妙子先生はリハビリ中で今月中頃には退院のご予定とか。脳梗塞で右の方がよくないらしいが、といっても特に目につくほどではないらしい。ゆっくりゆっくりお治しあそばせね。
 会いたいなあ。お喋りたっぷり交わしたいたいなあ。
そろそろ配膳の時間です。
 母上よ、今夜も夢見にお待ち申します。



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