2005年(平成17年)6月20日号

No.291

銀座一丁目新聞

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安全地帯(113)

信濃 太郎

 この詩の親子に会いたい

 劇団「ふるさときゃらばん」が経営する会員制の「ふるきゃらクラブ」(東京・高田馬場)で卓話を聞いた大歳昌彦さん(「オンステージ」代表取締役)が編集した「あの詩の子この子の詩」(北水刊)が送られてきた。いまさらのように子供の詩の瑞々しさとその感性に驚かされる。「この詩の親子に会いたい」と 大歳さんがあげたのは岡平眞潮君(当時小学校3年生・現在は中学一年生)がお母さん薫さんを歌った詩である。題は「本当なのに・・・」
 母さんがし力けんさをした/一メートルくらいはなれて/ぼくにしつ問した/「母さんはび人ですか」/「いいえー、ちがいます」/ぼくは、はっきり答えた/「いかん! いかん!そんな目はいかん!」/母さんは、すねた/「母さんは、しわはありますか」/「はい。あります」/ぼくは、しっかり答えた/「やっぱりいかん! し力が落ちちょう」/母さんは、わいわい言った/「母さんは、何才に見えますか? 」/「四十二才です」/ぼくは、じしんをもって答えた/「二十才ぐらいいって言わないかん!」/母さんは、むちゃを言った/(本当なのに)ぼくは思った。
 薫さんから大歳さんにきた手紙を要約すると、父親はカツオの一本釣り漁業に従事、9ヶ月ぐらい遠洋漁業に出る。子育てにはむつかしい理論はありません。ありのまま、まるごと受け入れられる場所が家庭と言うだけです。子供達(娘さんがいる)には何時も「父さんと母さんの宝や」といっているそうです。育児とは母親の生き方そのものであ。詩を読む限りこの親子の間柄はほほえましい。母親の大きな愛情に包まれているのがよくわかる。
 「とくせん とった」小学校一年生仙頭ゆうま君の俳句も詩におりこまれている。その俳句は「はちさんが おしるふりふり まっきっき」。リズム感がある。ちゃんと「はち」と言う季語(春)が入っている。盲目の詩人、佐藤浩さん(郡山市在住・児童詩誌「青い窓」主宰)は言う。「目で見て書いたら作文、目で聴いて書いたらそれは詩です」、含蓄のある言葉である。筆者の俳句などはまだ目で見て書いているから散文である。リズムが生まれてこない。「目で聴こう」。
 小学校5年生、井上理恵子さんが「わたしの先生」の詩を書いている。実に先生をよく観察している。先生が生徒を知るのに一年掛かるが、子供は先生の性格を三日で見抜くという。子供の感性は鋭い。小学校3年生宮谷勇次君の「えりのことば」の詩を見ても、いじめた妹が親に電話をしたのは告げ口と思っていたらなんと「えりの言うことが面白いわ。ゆうじ兄ちゃんをもっとうまく育ててよというたたで」と意外な母親の言葉が紹介されている。子供は優しくてすごい。 大歳さんと同じく子供達の詩に謙虚に学びたいと思う。

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