2005年(平成17年)6月20日号

No.291

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花ある風景(205)

並木 徹

詩に興り礼に立ち樂に成る

 論語に「朋有り遠方より来る、また楽しからずや」という有名な言葉がある。さる日この言葉の前と後ろの文章が気になり出した。しばしば引用される聖書の「人はパンのみにて生きるものではない」の後は「神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる」(申命記8−3)とつづくのは知っている。
 吉川幸次郎さんの「論語について」(講談社学術文庫)を見ると「学びて時に之を習う、また説(よろこ)ばしからずや」で、あとの文章は「人知らずして慍らず(おこらず)、また君子ならずや」であった。読んでいると孔子が音楽の素晴らしさについて語っているのを知った。韶という音楽を聴いてその感動のために3ヶ月間肉を食っても肉の味がわからなかったというのだ。韶は色々な打楽器、管楽器、弦楽器などで演奏する交響楽だそうである。今の西洋の交響楽に近い。魯の宮廷楽団の指揮者に音楽論を語っているから驚きである。最初は金属の打楽器の盛り上がるような演奏ではじまる。やがていろいろな楽器の自由な参加にによって純粋な調和がかもし出される。色々な楽器が夫々に受け持つパートの明確さ、そうして連続と展開、そうして音楽は完成すると、孔子はのたもうた。
 音楽は好きである。機会があれば聞きに行く。先ほど「安田弦楽四重奏団と大下祐子」を聞いた(6月6日・すみだトリフォニーホール)。モーツアルト弦楽四重奏曲 第20番 ニ長調 K499「ホフマイスタ−」が心に響いた。「偉大な作曲家」と激賞した友人のハイドンに6つの弦楽四重奏曲を作っている。この曲は借金の返済のために書いたもの。ホフマイスターはウィーンの楽譜出版商である。1780年代ウィーンに居を構え、演奏や作曲に精を出した。「フィガロの結婚」「ジュピター」「戴冠式」など名作を次から次に生み、名声は高まったものの、生活は苦しかった。ウィーンの王侯貴族も物質援助はしなかった。第一ヴァイオリン・安田明子、第二ヴァイオリン・戸沢哲夫、チェロ・安田謙一郎。ヴィオラ・臼木麻弥。子曰く「t如(きょうじょ)たり、繹如(えきじょ)たり、以って成る」四つの弦楽器の演奏は第三楽章のアダージョで見事な息きのあった演奏を見せた。この曲は真摯なチェロの安田さんの人柄をそのまま現した感じがした。
 孔子はこういっている。人間の教養の出発点は詩、次にその教養がしっかりしたものになるには「礼」である。そして最後の完成は音楽と言うのである。「詩に興り、礼に立ち、樂に成る」という。全てに中途半端である。道はなはだ遠しである。人間80歳にして惑う。これ命なりや・・・

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