2005年(平成17年)6月10日号

No.290

銀座一丁目新聞

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自省抄(32)

池上三重子

    5月5日(旧暦3月27日)木曜日 快晴のち?

 端午の祝いは男の子の節句。それぞれの庭にベランダに、ふさわしい旗幟や鯉幟が泳いでいることだろう。
 端午の節句。旧暦のこの日、母は粽を巻いた。
 板の間には真菰と葦の葉と藺草と、くちなしの実の中身を水で溶いた黄色い汁と、芥子の実の乾燥一個。もろぶたの蓋と広い延べ板が母の周りと前に準備されている。
 ザワザワザワザワ。真菰の葉ずれの音が耳奥に甦る。兄が、あるいは父が刈りとった真菰を井川に浸しておき、母が井戸水で濯いで乾かしていた真菰。葦の葉はていねいに一枚ずつ茣蓙小刀の反り深い専用物で切った幾十枚か……
 粽の原型は軍配のかたち。母が一塊の団子を延ばし叩いて整え、用意の置物に並べていくのに、私は本芥子の実をくちなしの溶液につけては団子の上部に捺印する。本芥子は一本だけ育てられ、実は味噌と醤油の貯蔵所の入口に束ねて吊られていた。
 団子は先ず葦の葉に包まれ、真菰数枚で囲まれ藺草で締められてでき上がるのだが、軍配の右肩に真菰の端が逆房(?)威を見せていた。
 五本ずつが一本の小綱でくくられて一掛け。茹でられて神棚に。一掛けは本家のご先祖に。黄粉か醤油か砂糖醤油か、このみごのみの賞味はお正月の餅とひとしかった。
 かたちの美は嬉しかった。
 餡こものが好きな私には、嗜好にあわないお茶うけであったが。
 母の季節のお供え物作りも、私のこころを通して魂を育んでくれた。そうそう、先日の五月一日、園では朔日恒例の小豆の赤飯。感謝しながらいただいたのだが、お朔日と十五日は母も伝統の継承者、赤いご飯はうれしく、大根なますにイリコ二、三尾のるのが常だった……母よ、思い出をありがとう……
 私が生家の板の間の「さまんこ格子」に片脚突っこみ、ワアワア泣き喚いたのは三つぐらいだったか。蔵から、母が父が兄が走り出て来たことがあった。
 事の次第に、父は「泣かんでん良か。どうせ出んなら、さまんこば切ってやるけん」と慰める。母は「出ぇた脚なら、引っ込まんこつぁなかろ? 知恵は生きとるうちに出さやん! さ、引っ込ませてみんない」と。
 母の言う通りだった。必死のもじもじの後、うそのように抜け出た。つつじ明かりに明るい板の間の一光景は、父と母の性格やものの見方、考え方の相違を浮き彫りにしたのだろう。
 父の愛
 母の愛
 周りの人々の愛、風土の愛……天と地と人とにはぐくまれて育つことができたのだ。
 母よ!
 今の私のこころと魂でもって、あなたに対することができませんでした。あなたを喪ったあとで、徐々に懇に吸収できるようになったあなたの無限の愛情! そして父は父なりの愛情だったのですね。
 兄よ! 時は必ず解決する、と学生の私に書いたあなたは三十歳……今、私は頷きます。敬愛こめて、あなたのお目をみつめつつささげます。昨日、あなたの忘れ形見の隆昭と彼の長女の麻美夫妻が来てくれました。結婚後、初ゆえ新郎は照れ気味。見舞いの花のピンク系の露草に似たちらちら小花と、それを背景とする朝顔に似たやはりピンクの花が、今日は五つも開花、はなやかな彩りの部屋の雰囲気が嬉しいのです。謐かな気品ある白梅の風情も忘れがたいけれど、明るい軽やかな初夏の気韻も好ましいですね。
 花はやさしい。花より団子といいますが、昨今の私は団子より花党。園の食事に不足がないからでしょう。ここの味付けは申し分なし。小欲知足の食は年齢が教えてくれるようです。高菜漬は米飯をとる夕食に欲しいのですが、幸い初ちゃんの母上のお裾分けをたっぷり頂けて嬉しくてなりません。
 五月五日も事なく安泰。言うことを恕されれば、優雅に微笑ましいすぎゆきでした。
「お母さんの六十歳の頃の写真にだんだん似て来たねぇ」と、昨日見舞ってくださった久留米の師範時代の友人たち。お母さんは百五歳でも銀髪きらきらの粒太の見事さでしたが、哀れあわれ、若い頃、お母さんに「若っかもんの髪は美しかあ」と、言われたその髪は無残やむざん。友人も昨日「ああたん髪は真っ黒であったばんてんね」と薄らうすらに同情の言。嘆く気分は多少はのこっていても諦観! いたわりつつ嘆きつつ、恙無しとしつつまいりましょう。
  友遠方ヨリ来タル
  亦タノシカラズヤ
 ただ黙々と成績のみが目標みたいな師範の二年間……思えば勿体ない時間をすごしたものよ。あの二年間の私はたしかに鬱病自認せざるを得ません。標準語をつかえないから、友達も特別に親しい誰もなしというべきだったでしょうか。
 久留米の友人が毎年訪れてくださるのは、貴重特記すべき友愛の持主! 無償の情!  ありがとう、ありがとうみなさん。
 明日は初ちゃんボランティア、武下洋子ちゃんも来室予定です。



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