花ある風景(204)
並木 徹
18代目勘三郎に栄光あれ
襲名18代中村勘三郎さんを囲む会に出席した(5月30日・赤坂プリンスホテル)。スポニチに連載された「勘九郎かわら版」(2003年6月から2005年2月まで)が小学館から5月「襲名十八代」―これは勘三郎からの恋文である―として出版されたのを記念して開かれた。当日は勘三郎さんの50歳の誕生日でもあったのでそのお祝いも兼ねた。勘三郎さんとはスポニチの社長時代、歌舞伎座の楽屋であっただけである。私の顔を見るや「スポニチの競馬面は面白い。何時も万馬券を狙っています」とのたもうた。気さくで、飾らない人柄と見て好感をもった。勘九郎と長男勘太郎との「連獅子」も拝見させて頂いた。この日は森光子さんがお祝いに駆けつけた。彼女は先代の最後のガールフレンドといわれる。先代が亡くなるときに病室にいたのは勘九郎さんの奥さんの好江さんと森光子さんの二人だけであった。先代の通夜のとき遺体の前で勘九郎さんを交えて森光子さん、市川団十郎さん、片岡仁左衛門さんらで麻雀をしている。先代は森さんにある時、小三元を振り込んだ事がある。よほど悔しかったのであろう。芸術座の舞台に出ている森さんに、客席から「小三元、小三元」と冷やかしたという。
挨拶にたった勘三郎さんは「3年後森さんとお芝居をやることになっています」と秘密になっている企画をポロッとしゃべってしまった。3年後といえば森さんは88歳。「放浪記」と同じく素晴らしいお芝居を見せてくれるだろうと嬉しくなった。
芸道一筋、「平成中村座」「コクーン歌舞伎」など新しい企画につぎから次へ挑戦する勘三郎さんの本には胸に響く言葉がぞくぞく出てくる。先代は何時も「間というのは『あいだ』の間じゃな
いんだよ。魔物の『魔』なんだよ」といっていたそうだ。間を魔といった人をはじめて知った。間と思っているあいだは本当の間が分かっていないのだと思う。魔になった時、はじめて絶妙の間が誕生する。精進の結果生まれてくるのであろうか。
次に「芸は人なり」という言葉。「演技の上手下手は確かにあるけれどもっと大切のものが心のなかにあるような気がする」という。「文は人なり」とよく言われる。文章にはその人の性格が実に良く出てくる。怖いくらいである。文章で人の心を打つのは文章の巧拙ではなくその中身である。お芝居も同じであろう。
渡辺えり子さんの言葉が紹介されている。「どんな役でも、上からものを見るような演じ方はダメ。演劇の神様がいて、もしそういう演技をしたらそれは罰当たりの演技なんです」この言葉を聞いて渡辺えり子さんをなんとなく好きだった理由がわかった。人は傲慢になったら堕落する。全てがそうである。あくまでも謙虚であらねばならない。この世に神様は存在する。勘三郎さんは良い友達がたくさんいてまことに幸せである。栄光を心から念ずる。 |