2005年(平成17年)6月10日号

No.290

銀座一丁目新聞

上へ
茶説
追悼録
花ある風景
競馬徒然草
安全地帯
自省抄
北海道物語
お耳を拝借
山と私
GINZA点描
銀座俳句道場
広告ニュース
バックナンバー

北海道物語
(7)

「田園開花」

−宮崎 徹−


 この写真は旭川に近い十勝岳山麓の田園風景である。旭川は富良野からどのくらい離れたまちかと訊かれて落ち込む話は前回述べた。二十五年前に「北の国から」のドラマが始まって以来、知名度の上昇が続く富良野市の蔭に隠れて、関心が薄かった 中富良野町は、近年大変な人気である。これは次回に書く富田忠雄さんのラベンダー畑の魅力があずかって力がある。丘のまちと呼ばれる起伏に富む隣の美瑛町と相まって若い人達に好まれている。多くの若者が花に埋もれる小径を歩いたり、丘を越える度に新しい色彩の変化の風景を楽しみ、或る時は白い煙を吐く十勝岳を遠望している。何十年か前に、別荘族とは全然違う人達と軽井沢に行き、今は夏の期間だけゆっくり走る富良野線のノロッコ号よりも遅い草軽電気軌道に乗って、浅間山を仰いだ頃を思い出す。若人達よ何時迄も若く有れと思う気持ちにこの土地はさせるのである。
 今度世界自然遺産地域指定を受ける知床半島は、昭和三十年、森繁久弥氏が作詞作曲した「知床旅情」で広く日本全国に知れ渡った。その頃は国外へ渡航するにも外貨の割り当てがなく、戦後の復興もまだ不十分だった日本では、北海道は我が国唯一のフロンティアのムードが有り、此の歌に触発された学生達が夏になると津軽海峡を渡って北海道にやってきた。列車を乗り継ぐため、網走行きの夜行の発車を待って駅でゴロ寝をする若者達は何人も群れをつくり、一様に背中一杯にリュックサックや頭陀袋を背負っているから蟹族と呼ばれた。蟹族は阿寒・知床へと、アルバイトで貯めた金で北海道旅行をする。そして涼しい夏の夜を、ふるえて列車を待つ学生達を、駅員や市民が色々な形で庇護するのが、当時の旭川駅の風物詩だった。
 高度成長が進行して企業が儲かって来ると、北海道一週間招待旅行が始まるが、これは全国に共通の現象だったのだろう。昭和三十九年の東京オリンピックにより新幹線や高速道路で、東京の街が大きく変貌したように、八年後の札幌オリンピックで札幌にも地下鉄が出来、道内の一極集中に拍車がかかった。また此の札幌オリンピックのお蔭で、冬は北海道でスキーをという傾向が強まって北海道の大きな魅力となった。「白い恋人たち」のメロディは雪質がヨーロッパに似ている北海道のイメージを高め、「私をスキーに連れてって」という映画があたると、旭川出身の学生まで東京では女子大生にもてるというという噂もあった。旭川近辺では、何と云っても、富良野プリンスホテルがあり、既存のスキー場をコクドが買収拡張した富良野市が有名となった。アスピリン・スノーと西武グループ資本の威力である。
 ただ此の時代にも、中富良野には縁がなかった。丘は傾斜面が続いているが、ゲレンデを作る程の長さと高低差に乏しかった。十勝岳という高峰もあり温泉もあるので、志賀高原のような使い方を考えた人も居たろうが、国有林の中に滑降コースを新設することを許さない自然保護のきびしい時代に入っていた。そのため巨大な資本家や強力な政治家が関心を持たなかった此の地域は、田園風景を保ちながら今日まで残って来たのである。リゾート法華やかな時代には歯がゆい思いもした住民も居ただろうが、今となると幸せだったと云って良かろう。
 ただこれは何もしないで、昔の侭と云うことでは勿論無い。大正中期の資料を見ると中富良野の農産物は小豆・大豆・菜種・燕麦だった。畑作だけでその侭続いたら農業では競争力が乏しかったろう。
 富田さんが、此の土地を南仏プロヴァンスに似たラベンダーの適地と喝破して、自から品種の改良向上に努力して良質の香水を作った。花の美しさは観光農業のモデルになる。此の物語は次回に詳しく書くが、素晴らしい人生である。
 逆に隣接の美瑛は戦前は第七師団の演習地が大部分であり、戦後農地に改良する際の大型化が進み、森林を伐採したら稜線の美しさが表れて来た。それを商社員時代に見た英国のスコットランドの丘の美しさに似ていると発見した写真家前田さんの作品が切っ掛けとなって、全国に知られるに至った。二人の生き方は異なるが、個人の努力が脚光を浴びると同時に地域興こしにつながったのだ。全国の小邑でもこれを教訓として優れた才能を持った人を発掘し、その人を支援したらよいと思う。
 五年前私の同業者だった九州人が、「此の夏、妻と娘がラベンダーと丘の美しさを見て、感激して帰って来た。俺は草千里(阿蘇)の方が良いと思うがな」と私に云う。私は世阿弥の風姿花伝の中の男時女時(おどきめどき)の話をして、どうも私達の若い頃と違って今は「女時」時代だろう。男も癒しを求める時代だから、奥さんが花の丘に感激するのは仕方が無いよと笑った。
 一昨年七月、天皇皇后両陛下は道央の御公務のあと富良野プリンスホテルにお泊まりになり、翌日旭川市に行幸啓のあと旭川空港からお帰りになった。七月四日早朝お二人は朝早く「ファーム富田」にお出になられ、富田氏とお話をされた後、ホテルに帰られてからあらためて公式に再度「ファーム富田」と旭川市内の養護老人ホームをご訪問なされた。国道富良野線の途中で不良青年が御車の邪魔をしようとした椿事があったが、両陛下は御予定もお変えになることなく、養護施設の御訪問や沿道歓迎の市民に丁寧な御振る舞いで應待なされた御姿は土地の人の想い出に長く残ることだろう。

このページについてのお問い合わせは次の宛先までお願いします。(そのさい発行日記述をお忘れなく)
www@hb-arts.co.jp