2005年(平成17年)5月20日号

No.288

銀座一丁目新聞

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安全地帯(110)

信濃 太郎

 マスコミは病んでいる

  日本の社会はどうも寛容の精神を失ったようである。他人の罪を厳しく責めるようになった。罪というほどのものではなく、不都合と思われない行動についても問題視するようになった。
 6チャンネル(TBS)の夕方のニュース番組でJR西日本の南谷昌二会長が遺族の23歳の若者に土下座して謝罪している姿を映し出していた(5月13日)。職員が事故でなくなった姉の遺影の顔を覚えていないと言うので怒りを増していた。さらに南谷会長に「全職員が安全運転に全力を尽さねばいけない」と説教をしていた。たしかに乗客のJR西日本に対する不信感は強い。第五代国鉄総裁石田礼助さん(昭和38年から昭和44年)は総裁就任した直後に書いた一文がある。「風の向きによって、ときに夜汽車の響きが寝室にまで届く事がある。深夜である。万物が平穏なひとときをひたすら貪っている時刻に、なお起きていて職務に励む人のことを思うと、厳粛な気持ちにならざるを得ない.『神よ、願わくは安全を守りたまえ』と祈る気持ちになる」(城山三郎著「粗にして野だが卑ではない」−石田礼助の生涯より)。それでも昭和38年11月、横須賀線鶴見駅で脱線衝突事故が起き、161人の死者を出した。南谷会長とて安全を神に祈る気持ちは同じであろう。
 テレビが南谷会長が土下座して遺族から責められる写真まで放映しなければいけないのか疑問を感ずる。テレビドラマの一シーンを見る思いがした。絵になればどんな映像でも出すというのでは見識がなさ過ぎる。突然の不条理な死に対して肉親のやり場のない怒りを表現する映像は他にいくらでもあろう。情け容赦なく取りまくるというのでは「武士の情け」がなさ過ぎる。今回のJR西日本の対応のまずさは目に余る。107人の死者を出した大事故に職員の対応がまごつくのは当たり前である。事故なれしているかのように円滑に捌くほうがむしろ可笑しいと思う。事故を起した以上、謝罪、補償、事故防止対策をしなければいけない。それらに全力をあげるべきで、卑屈になる必要は全くない。
 毎日新聞が事故のあった4月35日夜村田吉隆・国家公安員長兼防災担当相が宴席に出ていたというので一段扱いのニュースで報じていた(5月13日)。これが何故ニュースになるのか。判断がつかないので読者の判断を仰ぐと言うのであろうか。大事故の場合、何処まで自粛するかは常識で判断するほかない。己の胸に問いやましくなければ、自己責任で行動すればよい。新聞は騒ぎすぎである。あまり正義を振り回すなと言いたい。

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