花ある風景(202)
並木 徹
あるカメラマンの履歴書
フリーのカメラマン江成常夫君から著書「レンズに映った昭和」(集英社新書)を贈られた。江成君は12年間毎日新聞の写真部に在籍しているが残念ながら一緒に仕事をする機会はなかった。フリーになってから良い仕事をしている。人間は身を苦境に置いたほうが潜在的な資質が磨かれ光を発揮するのかもしれない。「花嫁のアメリカ」(講談社)「シャオハイの満州」(集英社)など後世に残る写真集を出している。私など何度社を辞めようかと思いながら家族のことを考え踏ん切りがつかなかった。彼の場合、奥さんと子供3人に義母の6人家族がおりながらの決断である。
昭和49年9月単身渡米する。時に38歳。午前中語学校に通い午後はフリーの時間である。ニューヨークでは強盗事件に遭う。家族写真をとりつづけるうちハーレムで黒人の男にナイフで襲われ、撮影機材一式と財布、腕時計などを奪われた上、首を締め上げられた。付近の住民が物音に気付き顔をのぞかせなければ命を失うところであった。予定滞在一年間のニューヨークでの家族写真撮影でそれまで考えたこともなかった方法論を見出す。「写真は対象を真っ直ぐ見詰めてこそ本来の力を発揮する・・・」「表現としての写真にとって、技巧は本質をあいまいにしてしまう」というのである。新聞記事で言えば相手が発言した言葉をそのまま文章に綴る。方言で語ればそのまま方言をのせる。そのほうが文章として力が出るし、真実を伝える得る。形容詞を用いないこともリアルに読者に伝えるのに役に立つ。
江成君は3年後の昭和M53年10月またアメリカに旅立つ。戦争花嫁の取材のためである。彼がそれらの家庭でしばしば目にしたのは様式のリビングルームにどっかりと据えられた立派な仏壇であった。「日本では周囲からの蔑視や親族との軋轢に涙しアメリカに渡っても言葉に悩まされ、差別になきながら人生を切り開いてきた花嫁にとって宗教は日常生活に密着した欠かせない拠り所になっている」と解説する。人種差別の話も出てくる。黒人兵と結婚した場合夫の両親や兄弟から好感を持って受け入れらているが、夫が白人の場合はその多くが花嫁を招かざる客として拒絶している。この取材が「負の昭和」を見つめる仕事のスタート台となり、彼の人生の転機ともなる。戦争孤児を扱った「シャオハイの満州」を生み「記憶の光景・十人のヒロシマ」(新潮社)へと広がる。写真を天職とした江成君は今年で43年、フリーの道を歩んで31年になる。この本はこの間の覚書であり履歴書のようなものだという。次ぎに江成君がどのような展開を見せるのか楽しみである。心からエールを送る。 |